聖断 5 | 野村孝博のブログ

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 続きです。

 

 鈴木貫太郎に終始してしまいましたが、昭和天皇にも言及していきたいと思います。鈴木の妻・たかが昭和天皇の侍女だったことはすでに触れましたが、そのたかのエピソードで「嘘とか、ごまかしとか、トリックとかを一切知らず、遊びのルールや約束に反するようなことをまったくしない、それが迪宮(昭和天皇の幼称)なのである。周りが嘘を言っても、それを嘘ととらない、すべて真実とする。人の世の裏表というものとうまれながらに無縁な人格を、足立たかはみたのである。」とありました。

 

 そうした幼少期の根本的な性格からでしょうか、「天皇は、天皇として立憲君主制をかたくななまでに守り続けた。閣議や政府大本営連絡会議で決定してきた国の方針については、これを拒否しない大原則を天皇は破ろうとはしなかった。そして軍部はすでにして、天皇して大元帥、という天皇制の二重構造を巧みに使い分ける技術を、昭和史の流れの中で自家薬籠中のものとしてしまっていた。」とありました。また「天皇は事実の裏の裏までを見通した。陸海空軍の無責任な楽観説にたえず裏切られ、幻滅と失望を重ねながら、勝利への期待を捨てないできた。憲法に誰よりも忠実な天皇は、そうせざるを得ない立場を守り続けた。しかし、これ以上、兵や国民を栄光へ駆り立てることは望んではならない。にもかかわらず、相も変わらない虚偽と欺瞞にのせられて御前会議で“本土決戦”を認可してしまったのである。」とありました。先述した天皇の性格を鑑みると、これだけ苦しいことはないでしょうね。象徴としての天皇と言うお立場も非常に難しいところだと思っていましたが、しっかりとした憲法が制定されている上での天皇の苦悩と言うのも本当に大変なものだと思いました。いや、憲法は第二次世界大戦後に変更されており、それは天皇の権限を小さくするためと言うような説をきいており、またその前の大日本帝国憲法について勉強不足なものですから、この辺りが今一つ理解しきれておりません。しかし、天皇陛下の表向きな動きからすると、戦争責任を問われるのも致し方なし、しかしながら、その苦悩を思うとそんなひどい話はないと思えます。

 

 ただ、戦争を行おうと動いていた軍部についても、一概に否定して良いのかと言えば何とも言えないとことです。国体護持を掲げ、国を守るという姿勢は間違いのないものであり、そうした強い誠心をもった国民と言うのは他国にはいなかったのかもしれません。いや、そうした教育を施したとされると、批判を免れないところかもしれません。

 

 非常に難しいところですが、そんな難しさの中、昭和天皇は国民を思って、終戦に向けて、鈴木と共に動いたということだけは理解しておきたいと思います。

 

 もう少し続きます。