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の間に録画した番組をなぜか今頃観ています。

NHK Eテレの5月2日の番組に「義男(ギダン)さんと憲法誕生」がありました。

平和憲法制定の立役者となった鈴木義男の生涯をたどる番組です。

憲法記念日に合わせての放送なわけですが、日本国憲法の誕生に関わった義男さん(愛称)=鈴木義男(すずきよしお)さんの存在を実は初めて知りました。

 

福島県出身の鈴木義男さんは、東北大の教授時代、軍事教練に反対して教壇を追われ、弁護士となり河上肇や宮本百合子など治安維持法違反者の弁護に尽力しました。
 

敗戦直後、衆議院議員になると、1946(昭和21)年夏には帝国憲法改正案委員小委員会のメンバーの一人として、帝国憲法改正案の審議に携わりました。その小委員会で、ギダンさんの提案から第9条に平和の文言が加わったほか、GHQ草案にはなかった第25条の生存権が追加されました。

また、最近の研究では、憲法17条の国家賠償請求権や憲法40条の刑事補償請求権もギダンさんらの提案によって追加されたことや、三権分立の確立をめざして尽力していたことも明らかになりました。(司法大臣、国務大臣などを歴任)
 

今回の番組では、鈴木義男に関する新資料をもとに、法廷での弁論の様子や、小委員会での発言の様子などを忠実に再現されていたということです。

治安維持法違反者と言っても、政府の都合の良い法律なわけで、人権を侵害された人たち、弾圧されていた人たちの弁護に力を注いでいました。弁論の言葉の重さ、また、小委員会での発言でも生存権の必要性を理論立てて述べていることや、第9条に必要な「平和」という言葉の強調についての発言や、司法の独立性(三権分立)についての発言、また、日本国憲法に対する思いなど、感動してしまいました。

 

GHQ民政局員として日本国憲法草案作成に携わり、第14条「法の下の平等」、第24条「両性の平等の原則」の条文を作成したベアテ・シロタ・ゴードンさんのことは、女性部役員をしていた時に学びましたが、それ以外には、何も知らないことに反省です。

 

「今の日本の憲法はアメリカが作って日本に押し付けたものだから、今、”日本人の手によって”書き直そう」という人たちも少なくないようですが、当時の幣原喜重郎首相の存在なども含め、改めて、日本国憲法は決して押し付けられたものではない、ということを確認しました。