「踏ん張りどころを間違えない」
最近、面白いドラマで「不適切にも程がある」というドラマを観ています(リアルタイムは無理なのでサブスクのドラマ追っかけしてます)。
令和と昭和の常識の違いが面白すぎて、久しぶりにテレビドラマが面白いなと感じていますが、訪問する会社で「あのドラマ見てます?」と聞くと驚くくらい経営者の方「観てます!」と言って盛り上がります(笑)
いやー、やっぱり今の時代はおかしいよねなんて話になりますが、私自身は必ずしもそうは思わず、見た人によっていろいろな感想があるのだなとさらに面白く毎回観させてもらってます。
大きな枠で感想を言えば、昭和の時代はある意味シンプルです、ざっくりとしたルールの中で「頑張る」こともわかりやすく、良い悪いも非常にわかりやすい。
令和の今の時代は多様な価値観という名のもとにセフティーネット、ルールが複雑に張り巡らされていて、「頑張りにくい」、良い悪いの線引きは非常にデリケートになっています。
今の若者は根性がないなんて言葉も聞きますが果たしてそうでしょうか?
正直、頑張りどころがない、踏ん張りどころが難しすぎることが彼らが力を発揮しずらい、フォーカスされにくい原因のように思います。
個人個人は昔の時代の若者(要は私たちの世代)より随分優秀な人材が多いように思います。
子どものころから情報が多く、それを取捨選択する力も私達よりある、多様性が当たり前の世の中で育っているので、ある意味客観的に物事をみて、上の世代からしたら「冷めている」と見られるかもしれません。
あのドラマをみて、おじさんやおばさんも生きづらいように描写されますが、そこには「踏ん張りどころ」を間違えた、そこに生きづらさを感じている若者達の姿も描かれています。
とても時代が複雑に難しくなったのだと。
なんでも我慢する、なんでもルールに従うこととで果たして私たちは正解にたどり着くのでしょうか。
そもそも正解がさらに見えなくなってしまった。
ドラマを観ながらゲラゲラ笑いながら、ふとそんなことを思いました。