哲学から生まれたヨーガスートラ① | 10年後の未来もHappy Life Yogaで笑顔で健やかに過ごす!

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ここからは中世インドとヨーガについて。

(前回までのブログは☞こちら)

ヨーガを学ぶときに欠かせない教典、以下の2つを分けて書いていきます。
 
●「バガヴァッド・ギーター」
1〜2世紀頃、ヒンドゥー教の聖典。現実社会のなかにいながら最高の境地に達することを説くヨーガについて書かれている。
 
●「ヨーガ・スートラ」
4〜6世紀頃、心統一や解脱への実践方法が書かれている。
 
 
時代背景は前後しますが、ウパニシャッドの流れを組む「ヨーガ・スートラ」から。
 
ウパニシャッドの時代には「心統一の方法(瞑想)」をヨーガと呼んでいました。
 
そしてその古典的なヨーガを「ラージャ・ヨーガ」と呼びます。
このヨーガの教典がパタンジャリ編纂の「ヨーガ・スートラ」なのです。
 
 この時代にサーンキヤ哲学と結びつき、ヨーガは単なる実践方法としてだけではなく、「ヨーガ学派」というひとつの学派として成立するに至ります。
 
サーンキヤ哲学はヨーガの理論的・哲学的な背景を説くものです。
ウパニシャッドの時代のヴェーダーンタ哲学では「ブラフマン」と「アートマン」はひとつ、という一元論でしたが
サーンキヤ哲学は「プルシャ」「プラクリティ(根本原理)」とそれぞれ、という二元論となります。
 
 
プルシャ(真我・純粋精神)真実の自己、本当の本当の自分でもあることから「アートマン」とも呼ばれる。個人の「核」のようなもの。
 下矢印 傍観するだけ  上矢印 いろんな世界を経験させようとする
プラクリティ(根本原理)あらゆる現象世界に自らを作り変えていく存在。
3つのグナ(性質)・・・サットヴァ(明るい、軽快)/ラジャス(活動的、興奮)/タマス(重い、暗い)からなり、そのバランスが取れているときはおとなしくしている。
 
 
ひらめき電球この関係を「映画」に例えるとひらめき電球
 
セリフやさまざまな場面に入れ替わる「映画」がプラクリティで、それを観ている「観客」がプルシャ
 
最新の4D映画以上に映画の中の主人公と一体となり、主人公が経験することが自分の経験となってしまうほどのリアリティある映画。
観客は楽しい場面では笑い、悲しい場面では泣き、苦悩する場面では同じように悩み苦しみ、主人公が血を流せば自分も血を流してしまいます。
これは観客である自分が映画という「幻」に惑わされているだけだと気づき、
この映画を終わらせ、静かな状態に戻る必要があるのです。
 
映画と自分(観客)は全く別のもの(二元)なのにひとつである、と錯覚してしまうことに苦悩や迷いの原因があるのです。
 
「映画」と「観客」はそれぞれの存在であると気づくために
惑わされているのは自分自身だと気づくために
 
すなわち
苦悩や迷いの原因を取り除くために、ヨーガの実践が必要なのです。
 
ここまでのサーンキヤ哲学をもとに、ヨーガ・スートラに実践的な内容が書かれているのです。
 
長くなりそうなのでつづく
 
成瀬先生がお話しされていたことに私の見解を足していますがうーん
う~ん、難しい・・・