
先日聞いた、札響のシューマンのピアノ協奏曲が、何度も頭の中で鳴り響きます。
どこまでも、さらさらと音楽が流れ、ピアノの藤田さんと指揮者の川瀬さんが、最後の1音を目指して共に進んでいくような演奏で、ソリストとオーケストラとの新しいコミュニケーションの形だなあ、、、と思いながら聞かせていただきました。
今、ふと思い出すのは、30年ほど前に聞いた、朝比奈隆指揮、園田高弘ピアノの、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の演奏です。
ふたりの巨匠が手を組んで音楽を創り上げる、、、とは全く逆の、それぞれが自分のやりたいように突き進んでいく演奏。
ソリストと指揮者が、息を合わせて決めるところもズレズレで、いつ演奏が止まるのかと、ハラハラさせられっ放し。
お互いに、『お前が俺に合わせろよ』と意地を張り合う風でもなく、でも『手を取り合って、より良い演奏にしましょう』なんて事を言う風でもない。
破綻を恐れずに、でもお互いの音楽を尊重し合いながら紡ぎ上げた音楽は、強烈なうねりを伴ったロシア音楽の真髄といった感じで、あれほどスリリングで、心臓に悪い協奏曲はなかった事を思い出します。
話はシューマンに戻りますが、この曲の3楽章の最後に、胸が締め付けられそうな程、激情的なフレーズが出てきます。
私は、ここを聞くといつでも、この曲を初演したシューマンの妻クララ・シューマンと夫ロベルト・シューマンの関係を思います。
ピアノは、上行系の早いパッセージを猛進し、弦楽器と木管楽器が、何度も何度もピアノに語りかけるような、たった10秒ほどのフレーズ(下の動画、2分40秒からの10秒ほど)。
それは、シューマンが生きた19世紀当時、ヨーロッパで第一級のピアニストであり、多くの音楽家の援助をし、通貨がユーロに統合される前、ドイツマルク紙幣の肖像画に使われた程のクララと、たくさんの子に恵まれた父であり、哲学者であり、音楽家であり、教育者であり、ライン川への投身自殺に失敗しちゃうようなロベルトとのコミュニケーションを垣間見るようなフレーズ。
クララにとって、たくさんいる子供の中で、最も手のかかる《末っ子》だったであろうロベルトとの二重唱。
今は亡き、朝比奈さんと園田さんだったら、このフレーズをどう表現されるのだろうと、、、いつまでも妄想してしまいます。