ピルによる血栓症の体験談を綴っている最中ですが、書いていて当時の具合の悪さを思い出してしまい、自分で気が滅入るので小休憩。

 
再発の不安と職場のストレスから最近数年ぶりに大きなパニック発作があり、人生初の救急車のお世話になってしまったので…。
 
私は新潟のとあるド田舎で生まれました。
父は自営業、母は公務員、祖父母と弟という家族構成。両親ともに責任感が強く仕事熱心でした。父は週末になるとパチンコやゴルフといった自分だけの楽しみで息抜きし、母は子守と家事。男は家事にノータッチで、田舎にありがちな男尊女卑の傾向が極めて強く、そのせいで母はいつもイライラしていました。
 
いわゆる機能不全家庭だったと思うんですが、年に一度家族らしい行事があり、それが夏休みの家族旅行でした。近隣県への温泉旅行が多かったですが、子供時代に一番楽しかったのは東京旅行。上野動物園やディズニーランド、夜でも明るい街並みは田舎には無いキラキラとした世界で、それはそれは興奮したものです。
 
都会というものを知って以来、私の世界は一気に広がり、あのトキメキをまた…と憧れました。
(;^ω^)
 
田舎ゆえ海外は遠い存在でしたが、旅の機会はまわりの同級生よりも多かったと思います。親は二人とも東京で暮らしていた時期があり、将来恥をかかないようにと色々見せてくれたのでしょう。旅館やホテルでのマナーも教えられました。このことは親に感謝しています。
 
私は自分の住む田舎の閉鎖性、変化のなさ、同調圧力が苦手で、考え方もちょっと変わっていたかもしれません。友達も少なかったです。中学二年頃から隣県の富山へ友人と電車に乗って買い物に行くのが楽しみでした。今思えば結構な距離ですし、当時は少数派でした。
 
何度も行って慣れ、一人で行った事もありました。これが自分の初一人旅かな?泊まりがけでの一人旅は30歳の頃のお伊勢参りですが、人生初の冒険は多分この富山。
 
高校生になると原付免許を取り(田舎なので原付で通学していた)、さらに世界が広がりました。
 
私の旅好きは忌み嫌っていたこの田舎での生活が原点。生きているうちにいろいろな景色を見てみたい、という思いは今も変わっていません。
 
旅ができることも、美味しいものを食べることも生きていてこそ。命があるから美しい景色に感動したりできるんですよね。それを血栓症の体験で学びました。
 
コロナ禍で海外に行けないと嘆いてしまいがちですが、旅というのは遠くへ行かずともできると最近よく考えます。隣町でも知らない場所は小さな旅。
 
そういう小さな事に喜びを感じて日々を過ごせば、人生はより楽しく、豊かになるんじゃないかなぁ。
 
Life is journey 
人生は長い旅。
 
楽しいことばかりでなくて、道をを迷うこともあれば行先を間違えることもある。そんな時は立ち止まって仕切り直せばいいし、どんな時でも自分らしく、旅を楽しみましょう♪