高度経済成長の始まり

 

(収録時間:3分00秒)

 

日本の高度経済成長とは、1955(昭和30)年から1973(昭和48)年までの期間をさす。

この間、20年近くにわたって、日本の実質GNP(国民総生産)は年平均10%以上の増加率を維持し、経済規模は約5.5倍に拡大した。

 

こうした成長を可能にした前提的な条件として、特需景気の結果、1950年代初頭に日本の鉱工業生産がすでに戦前水準を突破していたことを思い出しておきたい。

 

また、同時期に講和・独立を果たしたことで、西側の国際経済秩序(ブレトン=ウッズ体制)への参加も可能になった。

 

このブレトン=ウッズ体制とは、IMF(国際通貨基金)や世界銀行(国際復興開発銀行、IBRD)の創設、GATT(関税及び貿易に関する一般協定)の締結などを通じてアメリカの主導下で形成された、西側資本主義陣営の経済を通貨・金融・貿易の3側面から支えていくシステムのことをいう。

 

1955(昭和30)年、日本経済の主要指標が戦前最高水準を突破すると、翌年の『経済白書』は、こうした経済情勢を、「もはや戦後ではない」と特徴づけた。

 

この言葉は、高度経済成長の起点を象徴的かつ楽観的に示すものとして知られているが、当初は、復興による成長の時代が終わり、今後は「近代化」という苦痛をともなった自己改造が不可欠だというきびしい意味合いで用いられた

 

以後、高度経済成長期の日本は、神武景気岩戸景気オリンピック景気いざなぎ景気、の順に大型景気を経験することになる。

 

参考

「教科書の研究(ブレトン=ウッズ体制①)」

「教科書の研究(ブレトン=ウッズ体制②)」