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「昭和天皇7つの謎」(『歴史読本』新人物往来社、2003年12月号)の①「ヨーロッパ外遊前の態度に問題があったというのは本当か? 皇太子教育と外遊」です。

 

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皇太子教育と外遊

 

外遊問題は、こののち貞明(ていめい)皇后の頑強な反対によって時間をとられたものの、1920年10月末、ようやく皇后も承諾するところとなり、外遊日程の調整が本格化することとなった。

このため、20年後半から翌年3月の出発までの期間、皇太子に対する宮内官・元老・首相らのまなざしは、外遊先において人々を感心させられるだけの人徳をどれだけ身につけられるかという一点に集中した。

 

10月28日の『原敬日記』には、「皇太子殿下の御態度例へば頻(しき)りに御身体を動かせらるる」点と「洋食の召上り方も実は御存じなき様に」みえる点について、中村宮内大臣に注意を促したとある。

皇太子教育についての原の評点は、「今日の様にては将来の為め心配」という低いものであった。

 

西洋流の食事マナーや折々に必要なスピーチの仕方などについての講義は、1921(大正10)年3月3日、横浜で御召艦「香取(かとり)」に乗船して以降も、目的地のイギリスに到着するまでほとんど休むことなく続けられた。

 

その努力はすぐに成果をみせている。

ロンドン到着後、5月9日に催されたバッキンガム宮殿での公式晩餐会の席上、ジョージ5世の歓迎の辞に対して皇太子が述べた答礼のスピーチは、原稿もみずに朗々たる声で発せられ、随員たちはホッと胸をなでおろしたのであった。

 

ただし、供奉長(ぐぶちょう)として半年間、皇太子と行動をともにした珍田捨巳(ちんだすてみ)は、帰国後もなお、宮内大臣牧野伸顕に向かって「御性質中御落附の足らざる事、御研究心の薄き事等は御欠点」と語っている。

また、母である貞明皇后も、正座のできない皇太子について、それでは「御親祭は事実不可能なり」と危惧し、運動ばかり熱心なので「御弱点の神経性に御障りなきを案じ居れり」ともらしていた。

 

青年皇太子の成長物語は、プロローグを迎えたばかりであった。

 

主要参考文献20160609 文庫本などになっている場合は書誌情報を加えた)

 

ハーバート・ビックス、吉田裕監修『昭和天皇(上)』

(講談社、2002年→講談社学術文庫、2005年

 

原奎一郎編『原敬日記(第5巻)』(福村出版、1965年→1981年→2000年)

 

升味準之輔『昭和天皇とその時代』(山川出版社、1998年)

 

波多野勝『裕仁皇太子ヨーロッパ外遊記』(草思社、1998年→草思社文庫、2012年

 

伊藤隆・広瀬順皓編『牧野伸顕日記』(中央公論社、1990年)