母との別れ | 元気がいちばん

元気がいちばん

2009年、乳がんの手術。
2020年、術後検診卒業。

2021年末、まさかの卵巣がん発覚
2022年2月、手術。
病理検査では、幸い転移再発のリスクは低いものでしたが、経過を残しておきます。
あとは、その他日常のこと。

先月、母が亡くなりました。

看とり状態になって、

1ヶ月と数日でした。

その間、持ち直して

プリンを食べたり、

お風呂に入れてもらうほど

体調がよかったり、

そしてまた

レベルが落ちたりを

繰り返しながら、

ゆっくりと枯れていく

ようでした。

夜中に眠ったまま

穏やかに逝ったようで、

ほっとしました。


殆んど寝たきりだったので、

延命治療はしませんでした。

QOLが上がらないどころか 

母の場合下がるだけだし。

自力で動けず、ほとんど

口もきけない母から、

口から食べるという、

最期の楽しみを奪って 

植物状態にすることを、

誰も望みませんでした。


また、入院したら

病院によっては

面会もできません。

点滴やいろいろな

チューブに繋がれて

一人で寝かせておくのは、

こちらも辛いです。

最後の日の夕方まで、

妹と二人で、母の部屋で

過ごせました。


施設では、皆さんに

よくしていただきました。

母のわがままも、

「ご本人にしてみれば

 当然のことです」

と、嫌な顔もせずに

笑ってくれました。

本当に優しいスタッフさん

たちがいてくれて

よかったと思ってます。


逝ったのが夜中だったので

「前の晩、また明日の朝ね

 って、声かけたんですよ。

  スタッフみんなで、

  何で夜中なの~?って

  言ってたんですよ。」

等と声をかけていただき、

感謝しかありません。


私と母は、親子関係が

悪かったです。

長女あるあるかもしれせん。

私は母に、いつも

所有物のように扱われ、

高校ぐらいまで、

「親は子供に何をしても

 いい。親が子供に来た

 手紙や、日記を読んで、

 何が悪 い」

 と言われてました。

私が四十を越えても、

「お母さんの言う通りに

  しなさい!」

と叫ばれたときは、

怒りながらも、唖然とし、

もう笑うしかないと

呆れました。

そんな、喧嘩ばかりの

親子だったので、

私にはとてもできなかった

ケアをして下さった

施設の方に足を向けては

寝られません。


実は、母が亡くなったら

「やっと終わって、

  ほっとした。」

と感じると思っていました。

ところが、実際には、

「あれ?

  終わっちゃった?  」

と感じたのが、

自分でも意外でした。

かといって、

悲嘆にくれるわけでも 

ないので、

「あまり気を落とさないで」

「悲しいでしょうけど

  頑張って!」

と、皆さんが慰めて

くれるのですが、

返答に困りました。


看とり状態になってから

一ヶ月半あったのと、

91才の老衰は

自然に受け入れることが

できました。

でも、誕生日でもないのに、

自分がひとつ年を取った

気分です。


告別式までの

喪主ミッションは

終わりましたが、

手続きやら相続やら、

めんどくさいものが

何件も残ってます。


この春は、

桜の咲き方も変なのと、

忙しいのとで、

毎年見に行く場所まで

行けず、

花見は散歩コースの

近所だけでした。





ウィルの鼻が変に写ってる😫