紅色道楽 -112ページ目

わたしとわたしの話

よく人に相談を持ちかけられる


相談の概要を聞いたら、だいたい私の中に「ただの感想」と「客観的な判断」の両方が発生する

どっちが正しいかなんて所詮一個人の意見に過ぎないので、ケースバイケースで

どう答えるのが「その人のためになるか」あるいは「その人が私の意見を真に受けて行動したとき得る物が大きいか」

を基準にそれなりに答える。

恋愛に関しては、当たって砕けろ派なのでできるだけ前向きな返答をする

傷つかないことを重視してアドバイスする人もいるだろう。

後者が一見優しそうに見えるけど「自分だったら振られるのはいやだ、あるいは、この人のスペックでは無理だ」

という私見が入ってきているような気がするので、

自分の失恋からくるネガティブさを人の恋路に影響させるのは好まないので前者をとる。

これもどっちが正しいとは言えない。好みの問題である



よくあるのは、相談者の中で「こうしたい」という願望が定まっていて

それにあーだこーだと、その人なりの「理論付け」がなされている状態である
「俺理論」に自信があって一人つっぱしってくれる人だったら相談もしないし、私も放っておく

だがしかし「理論を振りかざして自分が正しいかどうかを確認する形で背中を押してもらう」タイプの人だと

私は突っ込まざるを得ない。

性分である。


私自身なにか行動するときに

「客観的判断」「感情」どちらを基準にして行動しているかというと、それはまたケースバイケースである

ただ、感情に乗っ取られてワーワー言ってる時も客観的判断を完璧に忘れているわけではなく

ちゃんと脳みその半分くらいで理論的な思考をしている(つもり)

それでもワーワー言うのはどうしても言わなきゃいけないという気持ちがあるから。

それかホルモンバランスが崩れているからである。


自分の理屈に自信を持って行動出来る人はうらやましいと思う

私はなんだかんだで感情と理屈が乖離しているので足元がふわふわしている。

両者が一致していればくだらないことで悩めもしたのに