なぜ、全能者のもとにはさまざまな時が蓄えられていないのか。なぜ、神を愛する者が神の日を見ることができないのか。


人は地境を移し家畜の群れを奪って自分のものとし みなしごのろばを連れ去りやもめの牛を質草に取る。 乏しい人々は道から押しのけられこの地の貧しい人々は身を隠す。


彼らは野ろばのように荒れ野に出て労し、食べ物を求め荒れ地で子に食べさせるパンを捜す。自分のものでもない畑で刈り入れをさせられ悪人のぶどう畑で残った房を集める。着る物もなく裸で夜を過ごし寒さを防ぐための覆いもない。山で激しい雨にぬれても身を避ける所もなく、岩にすがる。


父のない子は母の胸から引き離され貧しい人の乳飲み子は人質に取られる。彼らは身にまとう物もなく、裸で歩き麦束を運びながらも自分は飢え 並び立つオリーブの間で油を搾り搾り場でぶどうを踏みながらも渇く。


町では、死にゆく人々が呻き刺し貫かれた人々があえいでいるが神はその惨状に心を留めてくださらない。


光に背く人々がいる。彼らは光の道を認めず光の射すところにとどまろうとしない。人殺しは夜明け前に起き貧しい者、乏しい者を殺し夜になれば盗みを働く。


姦淫する者の目は、夕暮れを待ちだれにも見られないように、と言って顔を覆う。


暗黒に紛れて家々に忍び入り日中は閉じこもって、光を避ける。 このような者には、朝が死の闇だ。朝を破滅の死の闇と認めているのだ。


大水に遭えば彼はたちまち消え去る。この地で彼の嗣業は呪われそのぶどう畑に向かう者もいなくなる。暑さと乾燥が雪解け水をも消し去るように陰府は罪人を消し去るだろう。


母の胎も彼を忘れ蛆が彼を好んで食い彼を思い出す者もなくなる不正な行いは木のように折れ砕ける。彼は不妊の女を不幸に落としやもめに幸福を与えることはなかった。


権力者が力を振るい、成功したとしてもその人生は確かではない。安穏に生かされているようでもその歩む道に目を注いでおられる方がある。


だから、しばらくは栄えるが、消え去る。すべて衰えてゆくものと共に倒され麦の穂のように刈り取られるのだ。だが、そうなってはいないのだから誰が、わたしをうそつきと呼びわたしの言葉をむなしいものと断じることができようか。


ヨブ記24章より・・・・


ヨブ記については以下を


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%96%E8%A8%98


わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た。見よ、虐げられる人の涙を。彼らを慰める者はない。見よ、虐げる者の手にある力を。彼らを慰める者はない。


コヘレトの言葉4:1


貧しい人が虐げられていることや、不正な裁き、正義の欠如などがこの国にあるのを見ても、驚くな。なぜなら身分の高い者が、身分の高い者をかばい更に身分の高い者が両者をかばうのだから。


コヘレトの言葉5:7


イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。


心の貧しい人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる。柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は幸いである。その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は幸いである。その人たちは憐れみを受ける。心の清い人たちは幸いである。その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は幸いである。天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の予言者たちも、同じように迫害されたのである。


マタイによる福音書5章より


あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は天に積みなさい。そこでは虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。


体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るい。濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。


だれも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。


マタイによる福音書6章より

山上の垂訓については以下


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8A%E3%81%AE%E5%9E%82%E8%A8%93



久しぶりで激しい腰痛で目が覚める。


このところ、調子が良いので油断してたのだ。


激しい痛みの時には不思議とヨブ記を読みたくなる。


核心と本質に満ちたヨブ記の後で賢者ソロモンの叡智の言葉とイエスの愛に満ちた山上の垂訓を読む。


全ては、言い尽くされ語りつくされている。

どうすればいいかはわかっていても我々に解決能力や実行能力が無いのだ。


我々の心に言葉が根づかないのだ。


だとしても


「草は枯れ、花はしぼむ。 だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」 イザヤ書40章より


なんだと思う。


( ̄十 ̄)アーメン・・・