今年初の金春流観能〜中村昌弘の会〈船弁慶 遊女ノ舞、替ノ出〉シオリが良いなあ | この辺りの見所の者

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金春流能役者 中村昌弘師は、東京時代の能友が中村師の素人弟子であり、今日、伊勢に自分が行ってから5年半ぶりに話しをしました。懐かしかったです。



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第二回  金春流能楽師  中村昌弘の会
11/26
喜多六平太記念能楽堂

最初に、能楽評論家 金子直樹氏による解説。船弁慶の小書の遊女ノ舞を調べていなかったので解説してもらい助かりました。前場の中ノ舞の二段目で橋掛りに出て舞台を見込む型があるとのこと。

▽仕舞〈笠ノ段〉
シテ/中村昌弘 
地謡/山井綱雄
地謡は一人のみの独吟。仕舞で観る中村昌弘師は、型の一つ一つは丁寧ですが、あまり印象に残らない。寧ろ、地謡の山井綱雄師が、かなり粘っこい謡だったので、そちらに意識がいった。粘っこい錆びの地謡は、重心が低く、シテの端正な綺麗さとは対照的。

仕舞〈花筐クルイ〉
シテ/鵜澤光
地謡/谷本健吾

今回は仕舞の異流共演で観世流女性能役者 鵜澤光師を迎えた。前日の京都大学観世能番外仕舞で、片山伸吾師がシテで味方玄師が地頭を観たばかり。
花筐クルイは、型の動きでクルイを表現と思いがちだか、動きが無い所で舞台空間がクルイに見えるからポイントかなと思ったりしています。
鵜澤光師は、あまり動いているように見えなかった。以前観た仕舞では強くという意識が感じられたが、この花筐では強くという意識から離れる意識を感じた。強烈なクルイの色は感じることは出来なかったけど、存在による舞台空間を作り出したかったのだとしたら、それは充分に感じれたかな。谷本健吾師は、息の本当に微妙な詰まりか2・3回あったかな。本当に微妙なので上手く繋ぎ目であったとはいえる。

▽語「奈須与市物語」
野村太一郎
特に義経と与市の演じ分けが良い。場面展開の繋ぎ目は間で矯めているが、間が切れることは無いので、こちらの集中力も切れない。上に放射する所作ではない、重心の低い地に足がついた与市。先日の安達原のアイといい、野村太一郎はちょっと気になる。

休憩

仕舞「吉野静キリ」髙橋忍(髙橋 汎病気休演)
髙橋汎師の仕舞が観れなくて残念。一昨年、伊勢の神宮内宮参集殿で観た仕舞「東北キリ」の香りは忘れられない。

息子の忍師が代演しましたが、藝が大きく観える。しばらく観ていませんでしたが、一皮剥けたのだろうか。

仕舞「碇潜」金春安明
金春流では番外曲。
以前観たときより、仕舞の身体の密度が濃い。身体の線も太くなったように見えたのは曲のせいもあるかもしれない。

▽能〈船弁慶 遊女ノ舞  替ノ出〉
シテ/中村昌弘
子方/中村千紘
ワキ/福王 和幸
ワキツレ/村瀬 慧/矢野昌平
アイ/野村太一郎
笛/栗林祐輔
小鼓/鳥山直也
大鼓/亀井忠雄
太鼓/桜井 均
地頭/髙橋忍
地謡/辻井八郎、山井綱雄、井上貴覚
本田芳樹、金春憲和、本田布由樹、正木哲司

次第囃子から子方とワキ、ワキツレ幕出。
前シテの静御前は、アイの呼びかけで幕中から謡。仕舞の時にも思いましたが、中村師の謡が以前観た時よりも締まっている。芯が出てきたというのかな。幕出してアイとのやりとりは、小面が一瞬の怒りから悲しみへと変化し、橋掛りのサシ謡からもより悲しみが強調されるがベタな悲しみではない。アイが、そそくさと舞台に戻るのに対して、前シテは、ゆっくりとハコビが重い。ハコビでも静御前の心境を表現している。
遊女ノ舞の小書が付くてクセは省かれる。
アシライ物着で、静烏帽子を付ける。囃子の亀井忠雄師やはり所々、間のギリギリの押し引きをしながら打音。
地謡は、強く馬力のあるもの。
船弁慶ならこれで良い。中ノ舞になり二段目で橋掛りへ。左扇で舞台を見込む型から二度シオリ。舞台でのシオリでも感じたが、シオリの形が良い。面とシオリの間の空間が一つの世界に観える。少しオーバーな表現だったかな。鬘物が向いてそうだ。
中入りから、アイ、ワキ、ワキツレとのやりとりから囃子は波頭。亀井忠雄師はここで打音を上げてきた。舞台の波はかなり重い波のようだ。替ノ出は、半幕開いたのは確認出来ず。幕中から謡になり、早笛から後シテ幕出。平知盛にしては上品過ぎる。位は常より重いかな。ただ、知盛の幽霊が涙の上を動いているさまは舞台から感じ取れた。後場は重厚かな。
苦言は、最後に子方が抜いた刀をしまえないでいるのは、早目に誰かが動いてやるべきだった。子方が役者ではなく子供として見所は観てしまい、空間があまり良くない意味で温かいものになってしまった。

中村昌弘師はシオリの型が良い。更に研ぎ澄まして行けば、シオリで小宇宙が作れるかもしれない。
あとは、強さが必要な曲の場合は身体の密度の変化で強さが出せる様になると、端正で綺麗から抜け出すことが出来るかもしれないと、勝手に思い締めとします。