西日本観能記纏め① | この辺りの見所の者

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気ままなブログです。

体調のこともあり、備忘録も兼ねて西日本観能をひとまず纏めてみることにしました。ただし、ブログで観能記をアップするまでは、メモを取っていなかったので記憶の年月に誤差があるかもしれません。

初めて京都で観能したのは、2008年。金剛能楽堂か、河村能舞台のどっちかだと記憶しています。

河村能舞台は、河村定期能で、故 河村隆司師の舞囃子「頼政」を観ました。
既に河村隆司師は、能は引退していましたが、舞囃子でもギリギリ間に合ったのは幸いでした。
老武者、源 頼政そのものが舞台に立っているようでした。仕舞では、隆司師の兄であった故 河村禎二師が仕舞「老松」(記憶が定かではない)を舞っていて、落ち着いたふくよかな藝だった記憶があります。

2011年に伊勢に行くまで、度々京都に行くようになったのは、河村家の能が観たかったからです。
河村禎二師の藝は、もう一度観る機会がありました。その時の仕舞は、完全に瘦せ衰えて、骨と皮しかない身体。理由は察してはいましたが、観ていて辛かったです。

自分が京都に行き始めた時の河村家の地謡は凄かった。特に河村和重師地頭の時は強く押し出しのある地謡。当時の河村和重師の謡は強かった。(現在は、謡が若干変化)

河村和重師の藝は、例えるならば狂言山本家の故 山本則直師を思わせる強さ。
〈実盛〉や〈景清〉などの男物は素晴らしい。また、〈隅田川〉や〈半蔀〉〈芭蕉〉も、良い。最近は、円熟味があり強さだけではない表現が出て来たように思います。
自分にとってのベストは、林定期能で初番に舞った〈実盛〉。大阪→金沢→京都という日程で、疲労困憊でしたが、〈実盛〉の藝の強さに持っていかれてしまい、あとの二番は抜け殻のようになってしまいました。和重師は、型をやっているだけですが印象に残る藝。

東日本と西日本の見所の違いは、自分の肌合いでは舞台と見所との距離間の違い。空間の質感が京都の方が柔らかい。最初は戸惑ったことを覚えています。
京都で、東京の役者が舞うのも観てきましたが、不思議なもので京都仕様の舞台になっていました。役者が意識したものではないと思われますが。
自分も今では、東京仕様と京都仕様に無意識で感覚を切り替えていると思います。

河村家は、河村晴久師や河村晴道師が故 近藤乾之助師の会にも出ていて、謡も宝生流の影響を受けているなと感じることがあります。

河村家の能は京都の観能に於ける導き手になりました。
それから、京都の様々な家の能に接することになるのです。


続く。