御社上りの儀 | この辺りの見所の者

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5月17日、18日は奈良の興福寺と春日大社で薪御能が行われました。その2日目、御社上りの儀(みやしろ、ごしゃて呼ぶ人もいる)
に行ってまいりました。実は二回目になります。
御社上りの儀は、春日大社若宮拝ノ舎で行われます。
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拝ノ舎は長方形で六畳くらいの広さ。柱が六本あるので、舞うには苦労が要るとの事。
儀が始まる前に、『猩々』を舞うシテ方金春流能役者 金春欣三師の挨拶で先のエピソードを話されました。御社上りの儀は神前を背にして舞いますが、それは「四方正面」といって、御社上りの儀だけだそうです。必ず、御社上りの儀では『猩々』が舞われ、面を手にして、面を掛けるときは、面を顔に寄せるのでは無く、面に顔を寄せるのだと仰っていたのが印象的です。面は神体みたいなものかもしれません。

太鼓が鳴り始めます。続いて僧兵の吹く法螺貝の音。
神職、僧兵の参進で、神職は拝ノ舎の手前で小ゆうをし、僧兵は拝ノ舎からみて、右斜め後ろに、それぞれ五人ずつ床几に坐します。

御社上りの儀は、ワキ、シテも右側から登場します。
最初に、座の長老が白装束で舞台に上り、神前に向かい左膝を着く下居で礼をします。(拝かも?)
長老は拝ノ舎から見て、左手前に坐します。囃子方は、笛と地謡が写真の位置
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の円座に坐します。小鼓、大鼓、太鼓は、拝ノ舎の右側に坐ります。円座の数は、地謡側に十二。
囃子側は見えなかったのでわかりませんでした。

能『猩々』
シテ 金春流 金春欣三師
ワキ 高安流 高安勝久師
笛 森田流 光田洋一師
小鼓 大倉流 久田舜一郎師
大鼓 金春流 前川光範師。

『猩々』は目出度い舞ですが、神様に奉納する御社上りの儀では、祭祀に近いものだと感じざるを得ません。
空間が能では無く祭祀なのです。
一回目のときは、それがわかりませんでした。
二回目の今回は、祭祀を奉拝した経験があり、芸能が神様に対するものだったのが、伺われるような気がしてなりませんでした。
欣三師は、御齢90を感じさせないしっかりと舞われていました。

能が終わり、シテ、三役が退場した後、長老が神前に坐して、拝をします。僧兵は立ち上がって去り、神職は拝ノ舎の向かい側の舎に行き、神前の脇から、神饌?(曲げわっぱの形?)が神職に渡り、それから座の人に渡って去ることで全てが終了しました。

観阿弥、世阿弥の頃か、それ以前な頃にこうした形で、祭祀の一環として行われていたのかもしれません。

純の気を諸々に浴びる事が出来て感謝したい。







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