↑のつづき。
さて、
2024年の関東出張編最終日は埼玉。
以前から気になっていた神社へ。
東武伊勢崎線の鷲宮駅で下車。
駅から徒歩10分ほどでたどりついた。
『鷲宮神社』である。
阿波古代史に興味を持ってからというもの、
『鷲(わし)』には敏感に反応してしまう。
素敵な参道だ。
狛犬の腰の入れ具合がgoo。
『鷲宮堀内遺跡』。
久喜市HPによると↓
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鷲宮地区の辺りは土地が低く、
鷲宮神社境内も自然堤防と考えられていて、
鷲宮神社境内遺跡、通称「堀之内遺跡」の
発掘調査が行われる前までは、
鎌倉時代より前の遺跡があるとは
想定されていませんでした。
鷲宮神社境内遺跡は、
昭和37年(1962)と昭和59年(1984)の
二回に分けて発掘調査が行われました。
昭和37年の調査では、
縄文時代前期(約6000年前)・
後期(約4000年前)・晩期(約3000年前)、
古墳時代前期(約1700年前)・
中期(約1600年前)・後期(約1500年前)
の痕跡が発見されました。
また、縄文時代前期の方形の
住居跡(じゅうきょあと)一軒、
同後期の形状不明の住居跡一軒、
古墳時代後期の隅丸方形(すみまるほうけい)
の住居跡(カマド有り)一軒などが
見つかりました。
さらに、縄文時代の土器、土偶の脚部や石器、
古墳時代の土師器、須恵器(すえき)や
土玉(どだま)(投網(とあみ)の網に
付ける錘(おもり))などが出土しました。
この発見によって、
この地が自然堤防ではなく、
関東ローム層の台地であることが
明らかとなりました。
そして、遺跡の重要性から、
昭和51年(1976)に、埼玉県の
重要遺跡に選定されました。
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手水舎には素晴らしい龍の彫刻。
茅の輪が設置されていた拝殿。
『鷲宮(わしのみや)神社』
鎮座地 埼玉県久喜市鷲宮
創健 神崎神社(別宮)=神世
別称 鷲宮大明神 浮島大明神 大酉元祖
祭神 大己貴命 天穂日命 武夷鳥命
天穂日命のその御子武夷鳥命は、
出雲の国譲り神話に関わった神。
しかし、『鷲宮』と云うからには
元々は阿波忌部の祖神『天日鷲命』が
祀られていたのではなかろうか。
そして、その謎のヒントは
祭神の大己貴命(大国主)と
境内の本殿裏手にあったのだ。
由緒略記↓
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当社は出雲族の草創に係わる
関東最古の神社として今昔より伝わり
鷲宮大明神・浮島大明神または
大酉元祖とも称し州群所々に
多数分祀あり
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『浮島大明神』を覚えておいてください。
また、鷲宮神社HPの由緒には↓
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神代の昔に、
天穂日宮とその御子武夷鳥宮とが、
昌彦・昌武父子外二十七人の部族等を率いて
神崎神社(大己貴命)を建てて
奉祀したのに始まり、
次に天穂日宮の御霊徳を崇め、
別宮を建てて奉祀した。
この別宮が現在の本殿である。
崇神天皇の御世には、
太田々根子命が司祭し、豊城入彦命、
彦狭島命、御諸別王が、それぞれ
幣帛を奉納した。
景行天皇の御世には、
日本武尊が当神社の神威を崇め尊み、
社殿の造営をし、
併せて相殿に武夷鳥宮を奉祀した。
桓武天皇の御世には、
征夷大将軍坂上田村麿が、武運長久を祈り
奥州鷲の巣に当神社の御分社を奉祀した。
中世以降には、
関東の総社また関東鎮護の神として、
武将の尊崇が厚く、
歴史上有名な武将だけでも
藤原秀郷・源義家・源頼朝・源義経・
北条時頼・北条貞時・新田義貞・小山義政・
足利氏歴代・古河公方・関東管領上杉氏歴代
・徳川家康等があげられ、
武運長久等を祈る幣帛の奉納や神領の寄進、
社殿の造営等がなされた。
なかでも江戸時代には、
四百石の神領を与えられ、
代々の将軍の名で朱印状が残されている。
明治天皇の御世には、
神祗官達により准勅祭社に定められ、
勅使参向のもと幣帛の奉納がなされた。
そして明治天皇行幸の際、
当神社に御少憩され、
祭祀料として金壱封を賜り、
昭和天皇の御世にも、幣帛を賜った。
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横から2つの本殿。
鷲宮神社本殿と神崎神社(別宮)本殿。
御神木。
『光天之池(みひかりのいけ)』。
古来より龍神が住む池とのいい伝えがあった。
永い年月の間に土砂が流れ込み
埋もれてしまっていたが、
平成11年より復元のために
土砂の搬出をしていたところ、
池から湧水が吹き出し、
龍のような雲が空を覆った。
「天まで光り輝くような池」。
それが光天之池の由来である。
では境内の様子を。
境内社『久伊豆神社』。
祭神 大己貴命
源頼朝お手植えの『もっこく』。
『神楽殿』。
鷲宮の神楽は関東神楽の源流とされ、
国の重要文化財に指定されている。
『姫宮神社』。
祭神 活玉依姫命
奥にも鳥居。
『鹿島神社』。
祭神 武甕槌神
『稲荷社』。
祭神 倉稲魂命
森の道。 好きです。
『八幡神社』。
祭神 応神天皇
『諏訪神社』。
祭神 建御名方神
社殿ではなく、
諏訪大神と掘られた石碑が建っていた。
後ろから本殿。
そして、今回最も気になったのが、
本殿真後ろに鎮座する境内社だった。
特別な雰囲気を醸し出していた。
『粟島神社』。十六柱の神が祀られている。
授田毘古神(サルタヒコノカミ)
武内宿禰
天太玉命(アメノフトタマ)
豊宇気毘売神(トヨウケヒメ)
大年神
天種子命
木花開耶姫命
奥津日子命
奥津比売命
軻遇突智命
湍津姫命
市杵島姫命
田心姫命
八千矛神(ヤチホコノカミ)
大山咋神
大己貴命(オホナムヂ)
アワシマ神社の総本社は
和歌山市の淡嶋神社だとされている。
しかし、その淡嶋神社の創健は
伝承では仁徳天皇の御代。
『粟島』は元々、阿波徳島にあった
日本最大の中洲のことである。
現在は善入寺島になってしまった↓
明治時代に政府によって爆破された
神社があった。
その名も『浮島八幡神社』。
祭神は阿波忌部の祖『天日鷲命』。
天日鷲命の御子は『大麻比古命』。
大麻比古神社には元々猿田彦が祀られており、
大麻比古命=猿田彦だった場合↓
猿田彦と事代主と大物主は同一神。
つまり、
大麻比古=猿田彦=事代主ならば、
その父神たちは、
天日鷲(大麻比古の父)=大国主(事代主の父)。
つまり、
この『鷲宮神社』に祀られる
大己貴命(大国主)は、
天日鷲命のことなのである❗
だから、
本殿真裏には、
天日鷲が粟島で祀られていた
『浮島』の社名が残っているのだった。
そして、
元粟島である善入寺島の周辺には、
国譲りに関わる神々を祀る
延喜式内社が点在していた。
また、先ほどの境内社『姫宮神社』の
祭神活玉依姫命は、
事代主(大物主)の后であり、
三嶋溝杭命の娘。
三嶋溝杭耳はというと、
=鴨建角身=金鵄八咫烏=天日鷲命であり、
やはり『大国主命』に繋がるのだ。
また、事代主と同神である
大麻比古の別名は
津咋見命(ツグイミ)であり、
三嶋溝杭耳と同様に
「溝」「津」などの水に関連する言葉に
「クイ」「ミ」を付けた神名であり
同じ系列、つまり親子関係だということを
暗示している。
『カモ』と『アワ』は
強烈に重なっていた。
なぜなら、
播磨国風土記では、
『鴨波(アワワ)の里』というように、
「鴨(カモ)」を
『鴨(アワ)』と読ませている。
「鴨=阿波」と書いてあるんですよ皆さん❗
鷲の宮の祭神が大国主なのは、
こういう理由があるのです(多分)。
『八坂神社』。
祭神 素戔嗚尊
『八坂神輿殿』。
出雲満載の境内だった。
と、いうことで素晴らしい鷲宮神社。
とても楽しかった。
これにて、
2024年7月の関東出張編は終わり。
次回から、翌月8月の徳島出張編❗
速報では少しお伝えはしましたが、
台風の最中、衝撃の徳島編をお届けします。
「ワタシはまたアワに呼ばれた。」
つづく。
ではまた❗
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