↑のつづき。
さて、横浜から湘南方面に移動し、
午後のお仕事を終えた。
そして、
以前からその存在を知っていた神社に
ついに赴くことを決意した。
平塚駅から隣の茅ヶ崎駅で乗り換えて
相模線で4駅、宮山駅で下車。
やってきたのは高座郡寒川町。
神奈川県の高座(こうざ)郡は、
元々は相模国に所属しており、
平安中期の辞書「和名抄(わみょうしょう)」
では『太加久良(たかくら)』と記載される。
つまり、『高座(たかくら)』だったのだ。
目久尻(めくじり)川が流れる。
伝承によると、
昔この川に河童が住み着いて悪さをしていた。
地元の人々は河童を捕らえて
目を穿(くじ)り取ってこらしめたことに
由来するのだそうな。
元は「目穿り川」。
なんか怖い由来である。
神池に架かる神池橋を渡る。
社号標には
『相模國一之宮 國幣中社 寒川神社』。
全国唯一の八方除の守護神として
古くから信仰されてきた神社なのである。
神池。
この鳥居は、三の鳥居なのだそうな。
昔の境内はもっと広大だったということ。
『招霊木』。
綺麗な参道を歩く。
神門。
拝殿。
延喜式内名神大社 相模国高座郡
相模國一之宮
『寒川神社』
鎮座地 神奈川県高座郡寒川町宮山
創健 不詳
別称 寒川大明神
祭神 寒川比古命 寒川比女命
寒川神社の本殿の奥には
「神嶽山(かんたけやま)」の杜が
神苑として整備されている。
この寒川神社から、
夏至の日の出の方角と
冬至の日の入りの方角を直線で結ぶと、
線上には常陸国一之宮鹿島神宮、
下総国一之宮香取神宮が鎮座している。
古代の人は凄い。
由緒によると↓
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寒川神社の正確な創祀年代は、
現存する資料には記載されていません。
ただし、
雄略天皇(四五六~四七九)の御代に奉幣、
また神亀四年(七二七)社殿建立と伝える
記録があり、少なくとも
約千六百年の歴史を有することになります。
公の記録として残る最初のものは、
仁明天皇承和十三年(八四六)神階従五位下を
授けられたと『續日本後紀』に
確認することができます。
以来神階の授与が度々なされており、
齋衡元年(八五四)従四位下、
元慶八年(八八四)正四位下、
延喜十六年(九一六)正四位上と進階されました。
また、
『延喜式』神名帳(九二七年編纂)によれば
相模國十三社のうち、
唯一の名神大社とされています。
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拝殿右側にある『渾天儀』のレプリカ。
本物は天体の位置・星等を観測する器具。
寒川神社の渾天儀には、
龍は天空を支えるという故事にならい
四隅に龍が配置されているのだそうな。
寒川神社は東京からから見て南西にあたり、
江戸の裏鬼門を護る神社として崇敬された。
御神木は二本の杉。
祭神の寒川比古命と寒川比女命が
宿るとの言い伝えがある。
さてさて、
あまり見かけぬ祭神の
寒川比古命 寒川比女命だが、
思い起こせば二年前の夏に出会っていた。
祭神 磐長媛命・寒川比古命・寒川比売命
相模国の開発国神がなぜか祀られていた。
寒川比古命と寒川比売命を祀る神社は少ない。
千葉県千葉市中央区(旧寒川地区)にも
式内社『寒川神社』が鎮座しており、
やはり祭神は寒川比古命と寒川比売命。
他には例えば、
伊勢神宮内宮の末社『牟弥乃神社』。
大水上神(オオミナカミ)の御子として
寒川比古命と寒川比女命が祀られている。
そして、
大水上神を探すと香川県にたどり着く。
なんと、この寒川神社の近くに
『香川』なる地名があり、
その由来を探ると↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
かつて相模国高座郡香川村と呼ばれ、
相模国に勢力を伸ばしていた鎌倉一族の
助大夫高正(すけのたいふ たかまさ)が
地名をとって香川高正と名乗った。
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とあり、まず地名の香川があり、
そこから名前が生まれていた。
そして、香川県の『香川』はというと、
奈良時代以前からすでに
「香河」「介加波(けかは)」などと
表記されていた。
「全讃史」によると↓
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昔、香川の奥山に、樺川というところがあり、
その地に「樺の木」があって、
ここに流れる川の水に香りをうつして
流れたことから、「香川」になった。
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とされており、古くから讃岐國には
香川の地名が存在していたことがわかる。
四国の香川県はかつて讃岐國であった。
讃岐國の延喜式内社には、
香川県三豊市に鎮座する
讃岐国二宮『大水上神社』があり、
祭神は『大水上大明神』。
また、香川県さぬき市寒川町には
式内社讃岐國寒川郡『大蓑彦神社』が
鎮座しており、
祭神の大蓑彦命(オオミノヒコ)は、
は大水彦神(オオミナヒコ)の
転訛だと云われている。
そして、
寒川(さんかわ)の郡名の由来は↓
「寒川比古命、寒川比女命に由あり」。
そしてそして、
こちらのサイトによると、↓ 寒川さんの名字が多い地域ランキングでは、
一位は香川県さぬき市。
比率で見ても
一位 香川県
二位 和歌山県
三位 徳島県
となっている。
となっている。
つまり、
寒川神社のルーツは、
寒川比古命、寒川比女命の
親神である
大水上神(大蓑彦命)がいた
讃岐國だったのである。
湘南地方の夏の祭典『浜降祭』の
神輿渡御経路図。
浜降祭は神奈川県無形民俗文化財。
ホームページによると、
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寒川神社をはじめ、
寒川町・茅ヶ崎市の神輿約四十基が
夜明けとともに南湖の浜に参集する
その勇壮ぶりから「暁の祭典」とも呼ばれ、
湘南地方に本格的な夏の到来を告げる
祭りとして地元の人々に愛され続けています。
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このお祭りは、
海からやってきた開拓神が
この地に降り立った証なのかもしれない。
どこから❓️
それが讃岐だったら面白い。
さざれ石。
ちなみに、
沖縄にも『寒川』という地名があるが、
今はまだ、だまっておこう。
境内の外、道路挟んで
向かい側にも鳥居がある。
境内末社『宮山神社』。
祭神
大物主神
須佐之男神
健御雷之男神
大雀命
聖神
宇迦之御魂命
伊邪那岐命、伊邪那美命
寒川町宮山に鎮座していた
7社を合祀して宮山神社となった。
あー楽しかった。
そして7月の出張最終日は、埼玉でした。
つづく。
ではまた❗
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