↑のつづき。
さて、
福島県郡山市でのお仕事を終えた翌日は
神奈川県横浜市でのお仕事。
お昼の空いた時間に、
以前から気になっていた神社に行ってみた。
それは珍しい『思金神(オモイカネ)』の名を
冠する神社。
オモイカネは、天岩戸に隠れてしまった
アマテラスを岩戸の外に出すための
知恵を授けた神であり、
その後、天孫降臨で邇邇芸命に随伴した神。
系譜としては、
高御産巣日神の子で、
妹には邇邇芸命の母である
栲幡千千姫命がいる。
そんな超重要な神を祀る神社ということで
とてもワクワクしながら向かった。
横浜駅から根岸線で9駅、港南台駅で下車。
駅から徒歩で約25分と中々の距離だった。
大都会だと思っていた横浜だが、
こんなにのどかで素敵な地域があるとは。。
横浜のことが好きになった(笑)
田舎者なのでやはり自然が好きなのである。
鳥居が見えてきた。
たどりついた。
鳥居の扁額は『思金神社』。
「願いが叶う階段」をのぼる。
この神社に来れた時点で
ワタシの願いは叶っている。
よって、この階段の名にウソはない。
左側に社務所、右側に手水舎。
拝殿。
『思金(おもいかね)神社』
鎮座地 神奈川県横浜市栄区上郷町
創健 大正元年
祭神 八意思金大神 下照姫神
ホツマツタヱでは、祭神の二柱は
夫婦となっている。
下照姫の元の名はヒルコ姫↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
当社は大正元年に思金大神様が
初代宮司平野宝導に降臨され其の証として
昭和三十年高知県幡多郡佐賀町に
石碑が建立された。
思金神社奥社として多くの漁民や町民が参拝し
其の後横浜に本社が移され降臨百年を
吉祥として石碑を本社に遷座する運びとなり
現在に到る。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
なんと、この思金神社の元宮は、
土佐高知だった❗
公式ホームページによる由緒↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
現在、横浜市栄区上郷町にございます
思金神社の社殿は、もともと昭和3年に
白山神社の拝殿として建立されたものでした。
白山神社の周辺一体は広大な
丘陵地帯からなる里山でしたが、
昭和30年代後半から昭和50年代前半にかけて
大規模な宅地開発が行われ、
白山神社は昭和51年に
東上郷町の住宅地へ移転。
これに伴い、拝殿は白山神社に合祀され、
当社の二代目宮司がこの社殿を受け継ぐ
運びとなり、御祭神及び社名を変更して
「思金神社」と改名いたしました。
当社でお祀りしております御祭神は、
カツオ漁船一本釣りで有名な
高知県幡多郡佐賀町
(合併により現在の町名は幡多郡黒潮町)
にて祀られていた御神霊(おみたま)を
お移ししたものです。
境内にございます神力あふれる霊動石は、
高知県を流れる名流・四万十川源流で
採取された霊石で、悪しきところを
祓い清め心癒やされるパワーストーンです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~広場がある。
ワタシが子供なら迷わずサッカーしてる⚽
御神木。
『霊動石』。
高知県の四万十川上流で採取された霊石。
一応、やってみた(笑)
横から本殿。
奥にも鳥居が見える。
境内社『水神社』。
『思金神社 奥社』。
思金大神は、知恵の神というだけではなく、
天岩戸開きで暗闇になってしまった世に
太陽を取り戻したことから、
思金大神は8つの気象条件を司る
「気象の神様」としても祀られている。
8つの気象条件を司り、
多くの意見を聞くことが出来るために
『八意(やごころ)思金大神』と
称されている。
『祖霊祈願所』。
ここを登ると富士山が見えるらしい。
よくはわからなかったが、
絶景であることは間違いない。
素晴らしい場所だ。
真夏で気温も高かったが、
額の汗に当たる風が気持ち良い。
さて、戻ります。
降りてきた。
休憩所で休憩。
参拝日は7月後半ですから。
社務所に『高知家』と。
女性の方に声をかけて聞いてみたところ、
高知では血が繋がっていなくても
「みんな家族」と思っているのだそうな。
なんて素敵なんだ土佐高知。
神々の系譜においても、
血の繋がりがなくても兄弟や両親に
組み込まれた神もいるのではなかろうか。
それがややこしくなってしまう
理由である一方で、
とても素敵な
古代ヤマトだったのかもしれない。
『八紘一宇(はっこういちう)』。
全世界を一つの家にすること。
人種・民族・宗教等の差別なく、
世界中の人々が一つの家で
平和に暮らすこと…という意味だ。
御神輿。
お祭りに使用するお面だろうか。
横浜市にこんなに素晴らしい神社が
鎮座しているとは思わなかった。
しかも高知から遷された神社ということで
四国好きのワタシとしては最高でした。
帰り道、違う道から帰ってみようと思い
めちゃくちゃ迷った🤣
ここ、横浜なんですよ皆さん❗
どうやら遺跡の周辺を
ウロウロしていたらしい。
縄文と奈良時代の遺跡。
奈良~平安にかけての
大規模な製鉄遺跡だったことが
わかっている。
横浜は都会だけではなかった。
遺跡に神社に、
そして自然が大切にされている場所が
たくさんあった。
さてさて、
午後からは湘南の方に向かった。
次の神社は久々の一宮❗
つづく。
ではまた❗
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