↑のつづき。
さて、福島県郡山市のつづき。
郡山の街を歩いていたら出くわした鳥居。
一の鳥居と社号標。
この神社の表参道であろうか。
郡山市伝統文化遺産の看板より↓
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ご創建は、第13代成務天皇の御代。
勅命により、比止禰命(ひとねのみこと)は、
安積国造に任ぜられ、この地を開き、
社稷(しゃしょく)の神として、
安積国造(あさかくにつこ)神社を
お祀りしました。
後、坂上田村麻呂将軍が本神社に
八幡大神を合祀されました。
江戸時代、安積伊東氏氏神の稲荷大神を合祀。
旧県社、郡山総鎮守。
昌平坂学問所教授安積艮斎先生誕生の地です。
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そして、
『安積国造神社』にやってきた。
さらに鳥居をくぐる。
『安積(あさか)発祥』の碑。
第13代成務天皇の御代、
阿尺国造(あさかのくにのみやつこ)である
『比止禰(ヒトネ)命』が治めたのが
阿尺(安積、あさか)国である。
拝殿。茅の輪が設置されていた。
郡山総鎮守 安積発祥之宮
『安積国造(あさかくにつこ)神社』
鎮座地 福島県郡山市清水台
創健 成務天皇5年
祭神
■和久産巣日神(ワクムスビ)
豊受大御神の父神
■天湯津彦命(アマノユツヒコ)
邇芸速日命に従い降臨した神
比止禰命の御祖神
■比止禰命(ヒトネ)
阿尺国造
■誉田別命(ホムダワケ)
第15代応神天皇 八幡大神
■倉稲魂命(ウカノミタマ)
稲荷大神
安積国造神社HPによる由緒↓
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天湯津彦命の10世孫であられる比止禰命は、
第13代成務天皇5年、勅命により
安積(あさか)国造に任ぜられ、
安芸国から当地へ赴かれました。
安積の国を開かれるにあたり、
赤木山(現在の赤木町)に
社稷(しゃしょく)の神として和久産巣日神、
天湯津彦命をお祭りしました。
比止禰命は、国郡の範囲を定められ、
四方八丁の稲城(いなき)を築かれました。
未開の荒野を開かれて田園を拓き
農桑牧畜の業を奨励、善政を敷かれました。
安積国は現在の郡山市及び
旧安達田村両郡にあたる領域で、
大領として位置づけられていました。
第20代安康天皇2年、比止禰命は、
和久産巣日神、天湯津彦命を祭る
赤木山の社稷に合祀され、
国造神社と号しました。
延暦年中、坂上田村麻呂将軍は東征の砌、
国造神社に宇佐八幡大神を合祀し、
軍旗と弓矢を奉納しました。
永承年中、源頼義は、東征の折当社に
戦勝祈願し「幕内」の地名を付しました。
寛治元年(1087)、源義家は、
東征の際、神領を寄進されました。
天和3年(1683)、
八幡大神が赤木山の国造神社から、
稲荷大神が中世の領主の安積伊東氏古城内から
現在の清水台の鎮座地に奉遷され、
八幡宮、稲荷大明神として崇敬されました。
明治5年(1872)、
赤木山に鎮座されていた国造神社が、
八幡・稲荷の鎮座する清水台へ奉遷され、
3社を総称して安積国造神社と号しました。
古来郡山の総鎮守として尊崇され、
旧社格は県社に列せられました。
幕府儒官安積艮斎先生誕生地としても
知られております。
2282名の門人の氏名・入門月日・身元が
記載された艮斎自筆門人帳が神社に伝わり、
福島県重要文化財に指定されています。
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社殿の扁額は『安積國造神社』。
境内案内図。
社殿の左奥に境内社が見える。
並ぶ祠。
お稲荷さん。
本殿が見えた。
千木は男千木。
『安積天満宮』
祭神
贈太政大臣菅原道真公
昌平黌教授安積艮斎先生
江戸幕府昌平坂学問所の教授を務めた
大儒学者安積艮斎先生は、
安積国造神社第55代宮司安藤親重大人の
三男である。
『郡山市招魂社』。
『白玉稲荷神社』。
鳥居の扁額は『白玉稲荷大明神』。
社殿の前に石碑がたつ珍しい造り。
白玉稲荷の社殿。
『信州高遠透かし灯籠』。
御神楽殿。
祭神の和久産巣日神は
豊受大神の親神であり、
実は超重要な神様だが、
祀られている神社に遭遇したことは
あまりなかった。
千葉県成田市に鎮座する式内社
麻賀多神社の祭神が
和久産巣日神だったことを思い出した。
麻賀多神社の神紋は麻の葉紋たった。
大綿津見神の一族『安曇(アヅミ)』と
繋がるかと思われるが、
元々は『阿尺』だった為、
無関係の可能性が高い。
天湯津彦命の10世孫が
阿尺国造『比止禰命(ヒトネ)』。
天湯津彦命の5世孫が
阿岐(安芸)国造『飽速玉命(アキハヤタマ)』。
平安時代初期の『旧事本紀』より↓
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阿岐国造。志賀高穴穂朝。
天湯津彦命五世孫飽速玉命定賜国造。
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※「志賀高穴穂」は成務天皇のこと。
※「阿岐(安芸)国」とは現在の広島県西部。
「阿岐」の地名の由来は、
「飽=アキ」とする説があり、
「飽」には豊かという意味があるのだそうな。
安積国造神社の由緒には、
比止禰命は安芸から赴いたと記されている。
安積と安芸は古くから繋がっているのだ。
そして、興味深いことがある。
天湯津彦命の10世孫で
国造(くにのみやつこ)を任されたのは
比止禰命の他にも何人かいた。
その内の一人に、
『志久麻彥(シクマヒコ)』という人物がいる。
志久麻彥もまた、
国造(くにのみやつこ)を任された。
任された国の名は
『思國(おもいのくに)』❗
東北の方らしいが、
なんと所在不明なのだそうな。
と、いうことで郡山市の旅は終わり。
翌日は横浜でのお仕事。
そこで出逢った神社には
『思金』が祀られていた。
つづく。
ではまた❗
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