小学校から複雑な家庭環境で育った。
でも、母の弟や妹達のお陰で大きく道を逸れることなく社会に出れた。
叔父や叔母は当時まだ大学生なのに、野球グローブやローラースケートを買ってくれたり、正月にはたくさんお年玉をくれた。
アイススケートや釣りにも連れて行ってくれた。
別の親戚のお姉ちゃんは、マクドナルドが銀座にオープンした時に連れて行ってくれて初めてハンバーガー、地元の中華料理店では初めて青椒肉絲を食べさせてくれた。
当時の大学生って凄いなって、大人になってからも常に思っている。
感謝しかない。
感謝といえば、親が離婚し自由が丘の一軒家から田園調布のマンションに移り住んだ時、2つ隣りの部屋に住んでいた30歳で独身、鼻の下に髭を生やしていたおじさんにも、めちゃくちゃお世話になった。
多摩川でキャッチボールやノックをしてくれたり、代々木のオリンピックプールや鷺沼プールにも連れて行ってくれた。
時には、恐怖のカレー作ったから食べに来いよと、俺が夜独りで留守番している事を知っているから、夜は毎日のようにおじさんの部屋に行かせてもらっていた。
時々、「夜ジョギングするから付き合ってくれたらケンタッキー連れてってやる!」と、走り終えた後は田園調布駅前のケンタッキーに。
走った後にケンタッキー食べたら意味がないと思うのだが・・・。
また、おじさんの友達で黒縁メガネをかけて柔らかいお腹がマンガのように出ていたアベちゃんも、おじさんの所に来た時に一緒に遊んでくれたり、多摩川にも3人で行ったりした。
おじさんの彼女が来た時は、俺は恥ずかしくって何も話せなくなり金縛り状態になってしまうほど綺麗な女性だった。
資生堂の人だった。
ニコニコしていて本当に綺麗だった。
そんな大人達に囲まれながら育った小学生時代。
だが、俺が小学校6年生の時にそのおじさんは引っ越してしまう。
仕事は何をしていたのか分からなかったが、少女マンガの「りぼん」の最後のページに名前が載っている人だった。
部屋には畳一畳分ほどの大きな油絵を描いていた。
ある日、学校から帰ってから何処かへ遊びに行き、夕方に帰ったら母が「さっきおじさん来たのよー!」と。
「ボクいますか〜?(笑)」って、引っ越したのに、わざわざまた何かを誘いに来てくれたらしい。
そんな優しく温かい大人がいてくれた昭和の時代。
縁があればまたいつか再会できると思っていたけど、まだ中々会えないなぁ。
Y本Y司さん。
現在は70代半ばくらいだろうな。
俺はあなたのような大人になりたいと思って生きて来ました。
だから、再会してお礼を伝えられる日が来ることを願っています。
📕こういう大人でいたい📕