先週末。

夜中の寝かしつけの最中、
泣き止まぬ子どもらの声に
何かが爆発して、

私も一緒に、
叫ぶように泣いた。




息子と娘が同時に起きると、
どちらから泣き止まそうにも、
どちらかは泣き続けてしまう。

対処しようとしても、
体が1つしかないので、
どうしようもないのだ。





自分なりに精一杯やっていても、
耳元ではすごいボリュームの泣き声が
エンドレスで響き渡る。


これはもはや、
精神科のストレス耐性実験かと疑うほど、
メンタルに直撃するのだ。





最近の娘は、
鼻水も患っていたので、
尚のことボリューミーなお声。


そうしてその晩、
私の内の「ナニカ」が、
限界を超えた。









自分の泣き叫ぶ声が遠くに聞こえる。
コントロールも出来ない。


全てを放棄して、
耳を塞いで、
部屋の隅で丸まって、
大声で泣いた。




比較するのは非常に忍びないが、
それは一見、

カッちゃんが亡くなった時に、
ガード下で泣いていた南ちゃんと同じくらいに、
泣いていたように思う。

※参照『タッチ  7巻』あだち充






娘は横で、
「かぁちゃん、かぁちゃん」と、
今度は私を心配しながら、
泣いていた。

私はそれにすら反応出来ず、
丸まる。







すると実母が、
その異常な声を聞きつけて
助けに来てくれた。


その晩、
玄関先で転んで膝を怪我して、
奇跡的に一階のリビングで寝ていたので、
私たちの声に目を覚ましたのだ。



「どしたんね!」
と言いながら、
娘を抱き、泣き止ませて、
私の背中をさする実母。




部屋に入ったら

34歳の娘が号泣しているわ、
2歳の孫が「かぁちゃん」言いながら泣いているわ、
9ヶ月の息子が「あーうー」言いながらゴロゴロしているわで、


ほとんどホラーにも近い惨劇を
目撃したような気になり、

さぞかし恐ろしかったであろう。



そうして、
そのままずっと朝まで、
そこに居てくれた。








今思い出すにも結構な状況であるが、

不思議なことに、
そんな中であるにも関わらず、

状況を冷静に俯瞰する、
もう1人の自分も居た。




「人ってこんな風に泣けるんだ」と、

初めてダムを放流した瞬間に
立ち会ったかのような
感動を覚えながら、


今までに見たことのない反応を示している哺乳類(私)を、
ガラス一枚隔てた向こうから、
観察対象のごとく眺めていた。






私は昔から、
『無心』になる事が苦手だ。

フェスやらライブやらで、
グルーヴ的な其れに身を任せられた
試しもない。
(ほとんど行ったこともないが)



だからこそ、
「わ、この場面ドラマで見たー!」
的なことに
自分が陥っていることに、
余計にも驚いたのだ。






何も、私はここで、
自分がどれだけ切羽詰まっていたかの
ネガティヴ武勇伝を
申し伝えたいわけではない。



何故ならこれは、
紛れもなく、

クリエイティブで素晴らしい瞬間の
記録なのだ。









事の発端を思い浮かべてみると、

「こうだからこう」と
明確な原因を示すのは非常に難しくはあるが、


恐らく夫が、
娘たちの夜泣きに阻害されて
睡眠時間を確保できずにいたので、

ここ数ヶ月間、
自室で寝ていたことが
大きかったように思う。





夜の寝室に、
私と、
2歳10ヶ月の娘と、
9ヶ月の息子と、

3人きり。



彼の負担を軽くしたいという
私の願いが、


何をがあっても1人で対処するんだ、
決して助けを求めてはならない、
と、

勝手なプレッシャーを
自分自身に与えていたのだ。








命綱無しで
崖登りにチャレンジするような
キャパシティを超えた余計な意地は

一晩にして決壊した。




私はこの日、
きちんと感情を晒すことは
『強さ』なのだと、
改めて感じた。









私は子どもたちに、

ダサくても、みっともなくても、
そばにいる大切な人たちに感情を晒す勇気を、
示していきたいと思っている。





子育てにおいて何かを達成しようとは
1ミリも思わないし、

自分が後悔しない為に
何かをし尽くしてあげたいとも思わないが、




完璧でなくても、
そばに居てくれる人は居て、

何かの役割を演じなくても
幸せはそこにあるということを、

実体験として伝えたい。







感情を晒すということは、
自分のままを晒すということ。

それは、
相手に対する信頼でもあり、
愛情でもある。





何も、
相手の気持ちを考えず
ぶちまけて喚き散らせというわけではないが、


きちんと思いを伝えられる力は、

きっと彼らを、
優しくてあたたかい場所へ
導いてくれる。





その術は、
どんな目標を達成することよりも
人生を満ち足りたものにする、

幸福に生きる秘訣だと、

実体験から、
心から、
そう思っている。




そして、
それを芯に置いておくことで、

人生は飛躍的に、
自由度の高いものになる。

私はこれらを伝えていくことが、
子どもとの関わりにおいて、

ほとんど唯一の使命であると考えているのだ。









そんなわけで私は今日も、


ダサい自分のままでも、
愛されると信じて疑わぬ背中を
リアルでお届けするべく、

コタツでゴロゴロと転がり、
自堕落な午後を過ごす。



この瞬間に、
「それはただの怠惰だ」なんて言葉は、
到底届かないわけで、


この瞬間を、
空間全ての記憶に刻みながら、

1日を終える。







 

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【内容】

「この本には、知りたいことの全てが載っていました」
 

旅、思春期、大切な人の死、恋愛、

結婚、仕事、子育てなど、
33歳の著者が赤裸裸に告白する、人生の出来事。
著者の経験や感情を通して新たな感性を示す、

哲学的エッセイです。


「私」という鏡は、
どんな「貴方」を映し出せるだろうか。


!! 笑いや涙、様々な感情が沸き上がるので、
人前で読まない事をおススメ致します !!

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【読者からのご感想】

 

 .

この本には、知りたいことの答え全てが載っていました。
同世代の女性として、共感できる部分が多くあり、
女として、1人の人間として、苦しんだり悩んだりしながらも、芯のブレない著者の姿が印章的です。
普段ならスルーしてしまうようなことに対しても気付きを与えてくれて、人生を面白く、生きやすくするヒントがたくさん詰まっています。
考えることの面白さや大切さを、改めて感じました。
出産祝いや結婚祝いでも贈りたくなる、全ての世代の女性に読んでほしい一冊です。
(広島市在住 30代女性)

 

 

ほんとに凄い!

プリンセスネタにはニヤニヤが止まらなかったわ。子育てに関する考え方とかはとっても共感できるところが多くて、フルに働いて自由にさせてもらってる自分をふと振り返って、他人と比べて、ダメな母親なのかなー。とか凹む時あるけど、なんだか救われた。母であり1人の人間である。それはほんとに大事にしていきたいところだわ。日々思う矛盾に嫌気がさしたりするけど、こうして文字にしてくれて整理して読むと私自身も納得しやすかった。これからの生き方を考える年頃なのか…まだまだ色々チャレンジしてみよーって思えた。ほんと買ってよかった。ありがとう!!!(広島市在住 三十代女性)

.
.
ごめんなさい、まだ最後まで読めてないの。
ひとつずつ、ちびちび味わうように読んでる。
ワクワクしたり、感情が湧き出そうになるから、
ドキドキして、一気に進めないの。
これ皆読んだらいいのに。
(広島市在住 30代女性)

 

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このブログは、2017/6/24に出版予定の

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