いやもう、いろんなことが後回しになっていて、美容院にも行かねばならないし、歯医者さんにも行かねばならない。そろそろスマホも買い替えねばならない。
…と思いつつ、火曜日までの仕事のがんばりが堪えて、なかなか腰が上がりません。
「美容院に行かねばならない」が一番最初に来ていることからもわかるように髪の毛はボサボサです。
しかも、頚椎症が五十肩に移行したんじゃないの?という感じの嫌な肩の痛みと腕の動かなさ。髪の毛を後ろにひとつにまとめたり、服を脱ぐのが苦痛。
今朝、散歩のあとジャケットを脱ごうとしたら、背中側に回した痛くないほうの指が袖にひっかかり、そのひっかかりととるために痛いほうの腕を背中に回したら、案の定というか、大幅に案を超えた痛みが走り、途端に「あー。いやだ」と不機嫌になりました。
世の不機嫌なお年寄りの気持ちがわかります。これ。これ。着替え一つにも不機嫌を発動させる地雷があるんですよね。そうやって着替えに一つ、立ち上がりに一つ、トイレに一つ…自ら地雷を踏んで、それが重なっていって傷だらけになり、仏頂面になっていくのです。
そんなこんなで自分のからだのメンテナンスが滞っているのですが…
「婦人公論」に「獅子座、A型、丙午」という鈴木保奈美さんのエッセイが連載されています。今回のタイトルは「美容男子」。
一部だけの抜粋なので全体の内容は実際に読んでいただくとして、
わたしが仕事先でお目にかかる俳優さんたちはびっくりするほどカッコいい。(中略)それはなぜか。圧倒的な清潔感なのだ。彼らは日常的に、赤の他人であるメイクさんに顔を触られている。借り物の衣装に着替える。一日に何十回も鏡をのぞく。手元がアップになることもあるから、爪だってきれいだ。
自分が他者の目にどう映るかを認識し、メンテナンスをする。それは整った顔立ちや長い脚よりもずっと重要なことだ。
(中略)
自分が外からどう見えているのか。それはルッキズムとはちょっと違う、もっと社会的な心地よさを求めることだ。
きっぱりと、さっぱりとした文章。
「赤の他人であるメイクさん」「借り物の衣装」というところが、身だしなみをきれいに保つ意識をもつだけでは届かない「清潔感の極意」を象徴していると思いました。
他人の目と他人の手が常時入る。
借りものを着る。→これもまた他人のものであり、かつ新品。
本当の意味でパリっとする、というのは、この「他人」と「新品(借り物)」の存在の有無なんじゃないかと思ったのです。
美容院に頻繁に行く人が、パリっと見えるのは、「きちんとした状態に保っている」ことに加え、頻繁に「赤の他人の手が入っている」ってこともあるんだろうなと思った次第。
わたしみたいに家で一人で仕事している人間は、この対極。放っておいたら、どこまでもボサボサ化する。
少なくとも、美容院、行かなあかん。
先週の記事に、「誕生日、おめでとう!」のコメントをくださり、ありがとうございます。
●Keikoさん、温かいメッセージありがとうございます!うれしいです。
●sakae0325さん、楽しみにしてくださっているなんて光栄すぎます。
●さらさん、心に残るという言葉が沁みました。こちらこそ感謝です。
●Asaさん、ご無沙汰しています。生きる勇気がわくなんて…書いてよかったです!
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