鉄の心でいる意味 | NobunagAのブログ

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■鉄の心でいる意味■

昨日の記事の補足でもあるのですが…

最近の利用者さん、
家族は本当に難しいと感じます。

こんなこというと、
ジジイじみてますが、
昔はよかった。

お風呂に入れる、
あたたかい食事を提供する、
ただそれだけでも、
ありがたい、
そんな声が多く聞かれました。

手を合わせられたり、
感謝の手紙をもらうことも
たくさんありました。

今は…そういうことは
少なくなりました。

利用者さんたちもすでに
戦争やってたような大昔と違い、
何不自由ない生活を
送ってきた、
みたいな世代も出てきています。

彼らが育てたその子供たち、
いわゆる家族の世代も、
権利意識が極端に強い人も
増えています。

知識は中途半端なのに
権利意識が強いのは難しい…

「私たちはお金を払ってる!」

と言っても、
実際に払っているのは
介護保険の10%だけ…。
残りの90%は国のお金です。
我々の税金です。

だからお互いさまのはずなのに。

そんなことない?

もっと払ってる?

それは要するに、
部屋代と光熱費もろもろですよね。

それってアパートに住んでいても
家賃として払うものですよ。
電気代や公共料金も、
家にいてもかかるでしょう。

これに食費も入るから、
高いような感じがするけど、
それも家に住んでいたって
かかるお金です。

純粋に介護の料金として
払うものは、
自己負担分の1割のみ。

もちろんそれでも
お金を払っているから、
お客様だ!
と言う人もいるのでしょうけどね。

でも本来の意味では、
介護にかかるお金というのは
国が9割を負担し、
それをわれわれ
介護スタッフも含めた
国民全員が払っているものであり、
単純に利用者とスタッフとの
金銭的な雇用関係や
主従関係、つまりお手伝いや
召使いではないってことです。

しかし制度が固くなればなるほど、
お互いにぎくしゃくして
うまくいかないのです。

本当は僕ら介護スタッフなんて
単純じゃないかな。

少なくとも、
お金を稼ぎたくて
この業界に入る奴はいないからw

みんな、年寄りが好きとか
困ってる人の力になりたいとか、
ちょっとでも手伝いたい、
そんな動機できている。

だから昔のほうが、
そこが単純でよかった。

やってあげたら、
ありがとう。
やってもらえてうれしい、
ありがとう。

これが人間同士の
本当の関係性。

しかし今は

「ご利用者様にしてさしあげている」

などへりくだりすぎて、
おかしなことになっています。

そのうち

「御利用者様の○○様の
御御足(みあし)の御爪を
切らせていただきなさい」

なんて言わないと
ならなくなるんだろうか。
舌かむから勘弁してくれだw




話がグチっぽく
脱線してしまった…。

利用者さんも家族も、
変わっているのです…。

これは仕方ないんですよ。

もう昔とは時代が違い、
それぞれ生きてきた環境が
大昔よりも平和であって、
我慢強い人は減っている。

でも利用者や家族が変わっても、
変わらないでいられるものが
確実に一個はあります。

それは何か。

自分自身です。

まわりが変わっても、
自分だけは自分の意志で
変えずにいられるからね。

だから鉄の心を持つ、
ということです。

利用者がどうであれ、
家族がどうであれ、
自分はどの人に対しても
適切なサービスを提供するのだ、
という気持ち。

そんなに難しく考えずとも、
たとえ相手がどうであろうと、
確かな知識と技術と経験をもとに
自分は人を救うために
仕事をしているのだという
プロとしての誇りです。

べつに誰も理解してくれなくても、
神様だったり、
自分自身が自分のがんばりは
見ているはずなのです。

鉄の心、
なんていうと冷たい、
クールな感じなんですが、
実際には熱い心ですよw
溶岩が固まってる感じですね。




ちなみに記事の中で、
利用者さんや家族さんに
批判的に書いてる部分が
あるとは思いますが、
もちろんそうじゃない人も
いっぱいいます。

でなければ僕自身が、
こんなに利用者さんを
抱きしめたり、
家族さんと笑い合いながら
仕事なんてできません。

ただ、このことで
悩む介護スタッフがいるというのは
ちゃんとした現実として
存在していますので、
フタをすべきではないと思い、
書きました。

不快に思う方がいたら
すみません。