(その1) より
旅の2日目(インド1日目)は、デリー観光です。
朝目覚めて外を見ると、やはり空港に隣接する場所にあるホテルでした。
早く起きたので、お母さんはゆっくり朝風呂に入り、膝の湿布をテンコ盛り張り替えました。
ホテルのレストランで、ビュッフェ式の朝食です。
お母さんは座って待っていて、貢一が全部適当なものを選んで取ってきました。
【デリー観光】
この日から3日間は、午前は観光、午後は次の都市へ向けてのバス移動というスケジュールになります。
予定通りの時間に全員が揃い、デリー観光に出発します。
車内から撮ったデリー市内の風景です。女性もサリーを着ている人は少なくなりました。竹の並んだお店は、竹梯子を作って売っているのかもしれません。あるいは、死者を運ぶ竹竿の担架でしょう。
ガイドさんに聞いたら、デリーに車が増えだしたのは10年ほど前で、近年は軽自動車ではなく、普通車が買われているようです。だもんで、スズキ自動車は、インドで造った軽自動車を、日本に運んで売っているわけです。
【クトゥブ・ミナール】 <ニューデリー>
インドで最初に訪れた世界遺産です。
入場券売り場での待ち時間に、白い花をバックに撮りました。
右が、クトゥブ・ミナールです。インド最初のイスラム王朝のスルタン、クトゥブッディーン・アイバクがヒンドゥー教徒に対する勝利を記念して建てたものです。ミナールは尖塔(ミナレット)を意味します。
ヨーロッパで戦勝記念として建てられるのは「凱旋門」でしょうが、こでは「凱旋塔」ということになります。
5層からなるミナレットの高さは72.5m。基部の直径は14.3m、頂部は2.7m。凝った装飾が施されています。
左の鉄柱は、昔の文字ごと鋳造されていました。
インドの秀でた製鉄技術の歴史を物語っています。
【フマユーン廟】
ムガール帝国第2代皇帝フマユーンの廟です。后が王様のために1565年に建造しました。タージ・マハルに比べれば小さいながらも、インド・イスラム建築の傑作といわれているそうです。
茶色いフマユーン廟を白くして、四隅にミナレットを建てれば、タージ・マハルとほぼ同じ形になります
フマユーン廟の外壁上部には、いくつものダビデの星が彫られていました。ムガール帝国のムガールは、モンゴルの訛りといわれているようですが、ダビデの星は明らかに古代ユダヤのマークです。この点について、現時点では何もわかりません。
廟の中央には、フマユーン皇帝の石棺が置かれています。
ドームの上は、綺麗な装飾で満たされていました。
廟の上から門を撮りました。
右は、帰りがけに門を出た処で撮ったものです。
【イサ・ハーンの庭墓】
フマユーン廟の敷地の右側にあった建造物です。
写真の看板には、ISA KHAN’S GARDEN TUMB とありました。
「イサ・ハーンの庭墓」です。
イサ・ハーンが生きたのは、1453~1548となっていますから、ムガール帝国の初代皇帝バブールと第2代皇帝フマユーンとも、生きた時代が重なっています。ウィキペディアによると、パシュトゥン国籍のアフガニスタン貴族となっています。
ガイドさんはここを通過してしまいましたが、貢一はしっかり写真を撮っておきました。
左下のワンコは、この建物の下で雨宿りしていたのですが、このようなワンコはインド中どこにでもいます。
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