【3日目】
日本とパリの時差は8時間ですから、体内時計はそれに順応していません。夜8時には寝て、朝4時には目覚めてしまいました。日本なら6時には明るくなり出しますが、緯度の高いパリでは7時でまだ朝日が出ていませんでした。なので、朝食前に行こうと思っていた近くの公園散歩はできませんでした。
7時にビュッフェ形式の朝食を食べている時に、同じツアーの4年生女子大生二人組と話をしました。「今までに何回海外に行ったの?」と聞いたら、それぞれに3回、4回という回答でした。「今はいいね、それほどかからずに行けるから。私が皆さんの頃、ローマ・ジュネーブ・パリを1週間で回った時は、45万円もかかったんだよ」と話したら、ちょっとびっくりしていたようでした。なんたって今回の旅は、自腹の食費を含めてもひとり13万円くらいで回れるのですから。
朝食を終えて、7時半にバスは出発しました。ちょうど日の出の時刻でした。今日と明日、二日間のドライバーは黒人のおニイチャンです。パリの観光施設の入場券売り場などで係員として働いていた人々の3分の2は、かつての植民地から本国へやって来たアフリカ系の人々でした。
オンフルールに向かう途中で、道の駅のような小さなサービスエリアに止まりました。昨夜、スーパーで食品は買いだめしてあるので、ここでは自動販売機のカフェオーレを飲んでみただけで、建物の外で樹木を眺めて過ごしました。良く晴れていましたが、かなり寒い日でした。

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パリ郊外はちょうど紅葉の季節だったので、広葉樹の多い車窓からの景色に飽きることはありませんでした。

 

大きな橋を渡ると、「オンフルール」という昔栄えたセーヌ川の河口近くの小さな港町に着きます。画家たちがカラフルなこの港町の絵を描いたことでも有名になった町だそうです。矩形のドックに小さな船がたくさん並んでいました。ドックの北側の道が、跳ね上げ橋になっているので、ここからセーヌ川に出入りするようです。最初に記念写真の定番スポットで写真を撮ったので、後は港の周辺を歩いてみました。オンフルールでの自由散策時間は1時間半です。

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オンフルールの中心にある「サント・カトリーヌ教会」は当初、石で造られていたそうですが、イギリスとの戦争で破壊された後、船大工さんたちによって再建されたので、現在は船底のような天井をした木造の教会です。献灯してご挨拶をしてきました。
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教会の周辺には多くの出店が並んでいました。パエリアを売っているおじちゃんの屋台もありましたが、あまりにも大雑把でバラツキのある盛り付け方だったので、ちょっと引いてしまいました。
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「何か一つぐらい、オンフルールに来た記念を買わないと」と思いつつ、HONFLEURの港が描かれたマグカップを1つ買いました(フランス語ではHを発音しないことが多いようです)。
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衣類や装飾品や靴などを売っているお店もたくさんありました。50€程で売っていた黒白基調の冬物ニットのデザインはいかにもフランス的に感じました。
2日後にパリの地下鉄に乗った時、男女を問わず、ほぼ9割が上下とも真っ黒の服を着ていました。社会人時代は日本人の服装が暗いと感じていましたが、今回、新宿から羽田までJR区間で見た日本人の服装の方がまだしも明るいものでした。黒基調は6~7割でした。

 

オンフルールを出ておよそ2時間。羊が放牧されている緑の牧草地の先に、三角山の「モン・サン・ミッシェル」が見えてきました。モンは「山」、サンは「聖」、ミッシェルの英語読みは「ミカエル」です。つまり「聖ミカエルの山」という意味の、海に聳える山です。ミカエルの夢告によってこの山に修道院を建てることになったそうです。現在は、修道院の尖塔のてっぺんに金色のミカエルが乗っています。

 

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ところで、このモン・サン・ミッシェルについてですが、貢一が子どもの頃から家にあった『世界の旅 第1回配本フランス』(山田書院)には、モン・サン・ミッシェルの記述はありませんでした。ネットで調べるとモン・サン・ミッシェルが世界遺産に登録されたのは1979年とありますから、この本の出版はそれ以前だったのでしょう。
バスは、今夜宿泊するホテルの前に止まりました。ここからは専用のシャトルバスに乗るか歩くかでないとモン・サン・ミッシェルへは行けません。この時は、ちょうど干潮のタイミングだったようです。シャトルバスが走る橋の上から見えた道路の周辺は泥の沼のような光景ばかりでした。
バスを降りると、そこが最高の撮影スポットです。そこから木の板でできた歩道を50mほどカタコトと音を立てながら歩いてモン・サン・ミッシェルに上陸です。

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王の門をくぐると、いかにも観光地的な商店街のような風景が現れます。ここの一番手前にあったお店で、販促試食用の名物サブレを一袋いただくことができました。でも、このお店で買った人はどれほどいた事でしょう。
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モン・サン・ミッシェルに着いたのは、夕暮れ近い15:30頃でしたから、遠回りの登拝路は時間の関係で閉鎖されたようです。なので登りも降りも階段中心の路になってしまいました。そこで、お母さんは折り畳みの杖を出して登ります。ツアーに同行していた60代以上の皆さんの中には昇らない人もいましたが、3時間も自由散策時間があったので、お母さんは最高地点までついに昇りきりました。階段の数は、京都の鞍馬山と同じくらいありましたが、時間が十分あったので、お母さんでも登れたのです。
観光客が行ける最高地点では、カモメさんが出迎えてくれました。近寄っても人慣れしているらしく逃げないのです。
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修道院の聖堂内では、日本から来たこと、フランスのこと、ヨーロッパのこと、これから先の近未来の世界のことなどを、聖天使ミカエルに向かって、ひとしきり祈っていました。この聖堂内では、不思議な反響音が響いていました。なのに、お母さんは聞こえないと言っていました。ここは修道院なので過剰な装飾はありません。堅牢な要塞のような建物でした。でも静寂という点では優れています。深夜一人きりになれたら、海風の音を背景に、祈りに没頭できるはずです。

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修道院内を下りながら大小さまざまな幾つかの部屋を通り抜けました。門を上げ下げさせるためらしい大きな滑車がりました。窓があるところでは吹き込む冷たい風を感じながら、干潟を歩いている観光客を何人か見ました。
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修道院の建物から出ると、下方の景色を眺めつつ、いくつもの階段をゆっくり降り、最初にくぐった王の門を出ました。
そして、再びシャトルバスに乗って、Hotel de le digue (“ダムのホテル”という意味)の前に戻りました。ダムというよりクエノン川にかかる水門のような施設の隣にあるホテルです。この水門は、モン・サン・ミッシェル周辺に溜まってしまった土砂を、定期的に押し流すために造られたようです。
夕食まで1時間ほどあったので、近くにあった観光客用スーパーを見に行きました。そこでモン・サン・ミッシェルの写真が印刷された缶入りクッキーとタラの缶詰を2つ買いました。(帰国後にタラの缶詰を食べてみたのですが、マヨネーズと芥子が混ざったような味で「ギョベッ!」っていう味です。お母さんは残りを桃太郎にあげてしまいました)
部屋に戻ってまだ30分ほどあったのでホテルのベッドで横になったら、車中で全然眠くなかったのに、それこそ瞬間的に泥のように寝てしまったようでした。眠かったのではなく眠らされたという感じでした。数多ある前世の中で、一度はここに居たことがあって、その時のおさらいを夢の中でしていたのかもしれません。添乗員さんが起こしに来てくれなければ、そのまま夢の実在世界にズット居たはずです。
で、ホテルのレストランに行き、空いていた席に着くと、隣に座っていた女性は山梨県の笛吹市からこのツアーに参加した人でした。奇妙な出会いでしたが、フランスのモン・サン・ミッシェルで山梨県人と話したくなかったので、当り障りのないことを話しただけで、むしろ無口になってしまいました。
食事は、モン・サン・ミッシェル定番のオムレツからです。しかしながら、このオムレツはフカフカ過ぎて食べた気になれませんでした。空気を食べたような感じです。メインのチキンとポテトを食べ、チョコレートケーキで締めです。朝食以外で今回のツアー料金に含まれていた唯一の夕食ですが、コース料理だからと言ってそれほど美味しいわけではありません。別料金のボトル・ウォーター1瓶だけで8€でしたから、そのお金で美味しいサンドイッチを2つ食べたほうがマシだったかもしれません。

 

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ホテルの部屋はとても広く、ベットが3つ並んでいました。ところがボイラーの火力不足らしく、お風呂に溜めていたお湯が途中から水になってしまいました。なので、お風呂に入るのは断念して、王の門近くのお店でもらった販促試食用の名物サブレをかじりながら、テレビのチャンネルを回してフランス事情を確認していました。
フランスには、まじめなトーク番組が多いようでした。日本に多いバラエティー系はありませんでした。ロゴス(理屈っぽい言葉)の文化を育んできたヨーロッパ人には、日本のようなお笑い系は、あまり受け入れられないのでしょう。そしてアニメの画像はかなり稚拙でした。アニメ動画としてのスムーズさを維持するには、とても多くの枚数を描く必要がありますが、それをかなり削減している感じです。
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ついでにテレビについてですが、この旅で泊まった3つのホテルすべてで、チャンネルと番組は同じではなかったようです(つまりケーブル局がみな違う)。また、テレビのメーカーはフリップスかサムソンで、どちらもチャンネルが切り変わるのに2秒ほど待ち時間がありました。我が家のシャープのアクオスは、待ち時間なしでチャンネルは即座に切り変わりますし、画像もずっときれいです。

10時頃には寝たと思いますが、朝4時頃、すごい風の音で目が覚めました。昨日、観光が終わった頃から、大分強風になっていたようです。でも、ホテルを出発した8時頃には、風は収まっていました。目覚めたついでに、この時間に朝風呂です。皆が寝ている時間ですから、この時はしっかりお湯が出ました。お母さんもゆっくり朝風呂に入り、両膝の湿布を全部張り替えたのでご機嫌でした。