1日目<その1><その2>は、能登半島。
2日目<その3>は、金沢周辺を巡ります。
お母さんが朝風呂に入っている間に、近くのコンビニで、朝食のつけ蕎麦とパンとヨーグルト、そして今日1日分の飲み物を買ってきました。
兼六園はホテルから5分の所にありますが、先に白山に向かいます。

 

【白山比咩神社】
「しらやまひめじんじゃ」と読む、加賀國一宮です。
お母さんは初めて参拝する神社です。
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参拝を終え、社務所で巫女さんに御朱印をお願いしつつ、「造営資金の奉納のようなものはありませんか?」と尋ねたのですが、「そのようなものはありません。奉納していただくのであれば、昇殿参拝していただくしか・・・」という回答でした。昇殿参拝できるような正装で来ていたのではありませんでしたから、やむをえません。
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ここは、超を何回重ねてもいいような、超々・・・重要な神社です。
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社務所の横には、「平成29年 白山開山1300 白山の三馬場めぐり」を勧める小冊子が置かれていました。
白山三馬場とは、
加賀・白山比咩神社  (石川県・ここ)
 越前・平泉寺白山神社 (福井県)
 美濃・長滝白山神社  (岐阜県)
いつか詣でることができるでしょう。
 
静かな境内をゆっくり散策し、帰ることにしました。
 
【金劔宮】
白山比咩神社へ向かう途上にあった神社です。
社務所で神職さんに御朱印を書いてもらいつつ、この神社の由来等を尋ねましたが、「白山比咩神社との関係はない」いうことでした。また、この地域の地名「鶴来」は「劔」が由来だろうと思っていたのですが、いただいたパンフレットにそう書かれていました。
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境内には、「天の眞名井」があります。非常に蒸し暑い日でしたが、この周辺だけ明らかに“氣”が違っていました。涼やかな気がはっきり感じられました。
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お母さんは、義経がここに参拝した時に腰かけたという「亀石」に座ってご機嫌な顔をしていました。

 

【兼六園】
隣接する専用駐車場に車を置き、車椅子に宇宙人を乗せて向かいます。入場券売り場のおばちゃんに、「地球人1人、宇宙人1人」と言ったら、「はい、310円です」と返ってきました。310円は一人分の入場料金です。「一人分で、いいんですか?」と聞いたら、「65歳以上は無料ですので」ということでした。
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桂坂の入場門から入ってすぐに、兼六園を象徴する徽軫<ことじ>灯篭があります。並んでいる観光客の順番を待って写真を撮りました。
そして、霞が池の周りを1周して、サザエのように螺旋状の道を登る栄螺山の上から霞ヶ池を見下ろしつつ、少し休んでから、帰ることにしました。
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兼六園内は砂利道なので、タイヤの小さい車椅子はちょっと大変です。でもなんとか回れました。

 

【金沢城】
兼六園と道路を跨ぐ橋で繋がっている金沢城に行ってみました。
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こちらは車椅子で観光できる専用コースもパンフレットに書かれていました。また、五十間長屋などの特定部分に行かないなら見学無料でした。
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石川門から場内に入ってお城を見た感想は、二人とも「お城というより、学校みたい」というものでした。河北門の入り口にいた係員のおばちゃんに聞いたら、「このお城ができたのは戦国時代が終わった後なので、このような形状になっているのでしょう」ということでした。納得です。
 
『金箔ソフトクリーム』
駐車場に戻る途中に、『金箔ソフトクリーム』を売っているお店がありました。800円です。「こんなのを買うのは、わびさび意識のない外国人だけだろう」と思っていたら、普通に日本語を話す若いカップルもこれを食べていたのを発見して、ちょっと衝撃でした。
まあ、絢爛たる金閣寺とわびさびの銀閣寺、二つある日本文化ですから、日本人が『金箔ソフトクリーム』を食べるのが“ヘン”というわけではないのですが、情報機器の発達によって、日本人の若者の意識が、わびさび的な日本側から派手な世界標準側に寄ってゆくのは必然でしょうから、“衝撃”と思うこと自体「おっさん」なのかもしれません。

 

【五箇山へ向かう途中】
金沢の主な見学を終えたので、山梨に帰る途中にある富山県と岐阜県の県境付近にある五箇山に向かいます。カーナビ任せで、深い山間部を走ります。
五箇山が世界遺産に登録されてから、道路は大幅に整備されたようです。
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目的地に着くと専用駐車場があり、そこからエレベータで降りると左右に向かうトンネル通路があります。右側の集落に向かいました。
この日は、午後から雨の予報でしたが、珍しく予報がピッタリ当たりました。傘が必要な程度に降ってきました。
 
【五箇山】
五件ほどの藁葺き屋根の集落です。どこも合掌造りの外見を昔のままに保ちつつ、内部は売店や食堂などの観光客用の商いをしていたようです。白川郷に比べると建物の規模も小さいようです。
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民俗資料館と塩硝の館に入ってみました。
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民俗資料館には、昔使われていた道具がたくさん陳列されていました。お母さんにとっては、なじみのあるものばかりです。梯子のような階段を上って2階にも行って見ました。白川郷の太い柱にくらべると、五箇山は普通サイズに思えます。
塩硝の館は、火薬になる硝石の原料を植物から作っていたという展示でした。萱や麻などの植物とオカイコさんのウンチが主な原料であったことを初めて知りました。江戸幕府の目から隠れて製造するには、五箇山のような奥深い山の中であることが重要だったのでしょう。
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昼ご飯を食べていなかったので、ここで、五平餅とゼンザイを食べました。

 

【白川郷】
五箇山から30kmほど南にあるので行きましたが、着いた時は横殴りの暴風雨状態だったので、写真を1枚だけ撮って終わりにしました。お母さんも、白川郷に来たことがあったので、それほどこだわりません。
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ここから高山へ向かう山越えの旧道がありますが、このような天気では危険なので、南に60km南下し再び60km北上して高山に戻るルートで帰ることにしました。高山~安房トンネル~上高地~松本~諏訪を経て家に着いたのは、10時過ぎでした。全走行距離、995kmの旅でした。
お母さんは、「おつかれさん」と言いますが、こちらは全然疲れてなんかいません。夜中の3時ころまで溜まっていたメールなどを確認し終わってから寝ました。

 

【まとめ】
この旅では、お土産に1万円近く使ってしまいました。旅は体験するものと心得ますから、お土産の購入なんて極めて異例のことです。でもまあ、輪島塗りのお椀と、珠洲焼きの湯呑ですから、毎日お母さんが使うものです。
これからほぼ毎日「これ、どうしてたでぇ?」「自分で、輪島の朝市で買ったじゃないですか」というワンパターンな会話が末永く続くことでしょう。
 
                      以上です
 
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