毎日、暑い日が続きますね。でも、明日は雨で、気温もグッと下がるとか。体調管理に気をつけなくてはいけませんね。

 

備忘録となっているこの日記です。いってみましょう。

 

一昨日の土曜日。私は美容院に行きました。髪の毛をシャンプーセットして頂きました。その後で、喫茶「風味」に寄ってランチ。ハムとポテトのサンドイッチ、アイスレモンティーを頂きました。

家に戻ってからは、色々な雑務をこなしました。

 

 

 

昨日の日曜日。主人は中学の時のクラス会に行きました。私は、吉田義昭様のお誘いで「永福町*ル・リエール詩のサロン」に参加しました。場所は「永福町*ル・リエール谷口邸」。以前にも詩のサロンにはお誘いを頂いたことがあるのですが、永福町の駅からどう行けばいいのか、迷子になる気がして億劫だったのです。今回は吉田義昭様が永福町の駅の改札で何人かの詩友と待ち合わせをしてくださったので、参加する気になりました。今回はその吉田義昭様が講師でテーマは「詩が歌に変わる時」。とても興味深いお話でした。講話の後は、参加者有志による合評会。私も詩を準備していきました。ご批評、有難うございました。会の後は、希望者で懇親会。写真は懇親会のものです。楽しいひとときを過ごさせて頂きました。谷口様、スタッフの皆様、お世話になりました。ありがとうございました!

 

今日の月曜日。主人は、車のナンバープレートのことで、終日、出かけました。今日はお店を開けず、私も溜まってしまった雑務を色々とこなしました。

 

 

 

 

さて私は小勝雅夫様が御詩集「唖問」(土曜美術社出版販売)をお送りくださったので、読みました。

 

ここでは、3篇、ご紹介させて頂きたいと思います。

 

Ⅰ 序章 自伝的 私的 私小説的

 

  1(「日陰」に生きて・・・)

 

「日陰」に生きてきた

日陰に 愛し 書いてきた

 

切り立つ層をなす書物の断崖から

無限の海を望み見ながら

常に「書物」から引き離されて

言葉と沈黙との僅かな空域をさ迷い

何時か余白のかげに目立たず 影として

翳の上に影を重ねた

 

生きるという軛を背負って俺は生まれた

生まれは堀端番外地 生まれながらに肺を病み

俺にとって生きるとは病むことだったのだ

その上 屋根型に変形した横隔膜と 漏斗胸の胸に付きまとう黒い

 影に怯えながら

煮え湯を浴びた足の火傷を 俺の生きる証として俺は生きた

その胸にできるかぎりの爽やかな風を求めて

あてもなく 重い足を引きずり歩いた

 

だが あの夏 1945年ーー十五歳という

その俺も 大空襲をくぐり抜け

昔ならば「元服」という〈大人〉の この腺病質の軀で三八式歩兵

 銃を磨き

動員された陸軍火工廠では竹槍の勤労動員学徒として敗戦

日給一円の生徒たちの中にいた

 

時代も俺に優しくなかった・・・戦争という最大の災禍が去っても

過渡期を生きる この少年に「夏」という休みはなかった

十六歳 占領軍立川JAMA基地貨車積み下ろしの日雇いは

八人家族を支えるいささかの足しにもならず

やがて電気メートル調べ少年として 分厚い検針カードを抱え

炎天にひたすら 敗戦の町を 村を 訪ね歩いた夏だけがあった

 

夏が去り 秋が過ぎ ある時は雪解けの

ある時は霜解けの泥濘に足を取られ

時には米軍将校接収住宅の猛犬に追われて電柱に逃げ上り

門付けのように戸口から戸口をたどった

 

そうして 1950年 夏再び 十九歳

収容された逗子小坪 湘南の結核病棟で

再び不安の海に叩き込まれた

ーー朝鮮に戦争 蘇る劫火の記憶・・・

 

 

 

  4(いつか強いられた・・・)

 

いつか強いられた戦争を生き抜いてきた者たちが次々に世を去り

戦争を知らない者たちが新しい戦争に加担していく

死者たちが加速度的に増産され 使い捨てられ

気がつくと劣化ウランや化学兵器という新しい怪物が 人々の命に

 食い込み

青空のもと 世界は今や新しいガス室になった

その上を数万年を半減期とする 見えない霧が覆い始めた

遠く離れてなおつながる幾筋もの爛れた火山脈から

次々に噴き出してくる殺し合い 虐殺と差別と拒絶と収奪の上に

世紀の疫病が襲いかかってきた

(今ではそれすら生ぬるいかのように 瞬時に何万という人間を殺

  戮する兵器を振り回すもの)

以来 俺には見えてきたのだ

漂う見えない霧の中に蠢いている

にんげんの群がその影も薄れ

半減期を待ち切れず 陽炎のように揺れながら腐蝕され爛れていく

 のを

 

今は不可視の霧が

匂わず 見えず 何者も振り払うことができない命を蝕み

戦争も平和のすべても吞み込んで

克服する方策もなく真実の望みもない

生きとし生きる者はみな「名前」を奪われ

飛び交うのは虚妄の「希望」を売り込む虚ぞらしい宣伝広告ばかり

 だ

 

ひとびとはそこに立ちすくみ

あるいは無知と不毛のかりそめの「未来」と狎れあって遊ぶ加担者 

 となり

気がつけば蝕まれたおのれ自身の影も崩れて

改めて「にんげん」であることの耐え難い苦痛に目覚める・・・

 

だが この苦痛に目覚めて

振り払った虚妄のなかからどのように「希望」を摑むことができる

 のか

「希望」という言葉に値する真実の希望はあるのか

ただひたすらに希望を信じて

この問いを問い続けるしかないのか

 

 

Ⅳ 今ここに在ることの不思議

 

  2(ーーすべてが初めての・・・)

 

ーーすべてが初めての体験だった

 

空襲警報を知らせるサイレンに

少年は電灯の周りを黒い布で覆って

ボリュームを下げたラジオに耳を澄ませる

 

突然チャイムとともに

暗闇の向こうから声

東部軍司令部情報 関東地区 空襲警報発令 空襲警報発令

南方海上ノ敵機動部隊ヨリ発進セルB29ノ大編隊ハ

本土ニ向カッテ接近シツツアリ・・・

 

一瞬の静寂の後

再び鳴りだす音楽になぜか安らぎを覚える

少年は自分に言い聞かせるのだ

いつもと変わらない世界が

このラジオの向こう側にはある

ほら 頭上を過ぎてゆく大編隊の爆音にも

いつもと変わらず流れてくる管弦楽

世界はなにも変わりはしない 昨日とおなじ今日は

あるだろう

なにも変わりはしないのだ そうしてぼくは・・・ もうすぐあの音楽

 が

招く美しい世界へ 灯火管制下の小さな明かりの下で 不安な少年

 は

変わらず送られてくるベートーベンに

耳傾ける・・・すべてが初めての体験だった

 

そしてすべての少年の夢は喪われる

白昼炎天の高高度いっぱいに展げられたレース模様のような銀色の

重爆撃機の大編隊が通り過ぎ

一切が暗転する・・・

橋の下へ行け

川の中に逃げ込め 上から注がれる

油脂焼夷弾が川の表に流れ 火炎の流れとなって

そのまま人間たちを舐め尽くす・・・

共同墓地の石塔の下で焼夷弾に背中を貫通され 墓石のように崩れ

 た老女

低空から機銃掃射に曝され逃げ惑う親子・・・

その母を失い裸のままで路傍に立っている

少年はもう泣くこともできなかった

焼きはらわれた小屋 立ち木にぶら下がったちぎれた手足

首のない赤ん坊を背負ったまま逃げてきた狂乱の母親・・・

 

どこをどうやってきたのだろう

気がつくと少年は不思議に広い道路の真ん中に放心していた

焼け落ちてゆく周りの家

まだ性懲りもなく爆撃機の翼が鏡となって一機ずつやって来る超低

 空を

揺らめく地上の焔を映しているのを眺めていた

 

不思議に明るい十字街の静寂

丘のうえの裁判所の大きな梁が焼け落ちてその太い柱が崩れる

・・・・・

 

朝が来て水を捜しに来た少年は丘に立って驚く 街は

誰もいない海だ

一面 音もなく 焼き尽くされた街は

誰もいない灰色の海となって死んだ

 

 

 

小勝雅夫様、ご恵贈ありがとうございました。

小勝様は私の亡き母と同世代ですね。私の亡き母は昭和5年生まれです。

戦争のこと、戦後のことを話してくれる方が、次々と他界してしまって、貴重なお話だと思いました。

昭和の作家が次々にこの世を去っていく。小勝様は「あとがき 遅れたレポート」でそう述べられていますね。

そして次のように話されます。私たちは「昭和」という激しかった時代についての記述をそれぞれの作家に大きく負って

いるが、私にも、私だけが歩かされた「時間」、そして咲かされた「空間」があったはずだ。だがその痕跡すら見えない。そう

強く思ったとき、この詩集は自然発生的に始まっていた。

私を通して昭和がいくらか垣間見られるようなものが、たとえ小さな爪痕でも残ったらよい。

戦争のこと、戦後の混乱のこと、風化させたらいけませんね。

ありがとうございました。貴重な詩の数々だと思いました。

 

ご健筆をお祈り申し上げます!