千住真理子さんは、能弁だった。
自分で言うのも何だが、ボクのことを全面的に信頼し、委ねてくださることが、傍にいると伝わってくる。
だから安心して話せるようだ。
「村上さんに出会えたことは私の宝」とまで言ってくださり、光栄の極みだ。このたびの大人の寺子屋も、「ぜひやりたい!」と事務所を説得しての登壇となった。
生卵3個の話から入った。ストラディバリウス・デュランティという名品に見合う身体を作るために生卵を「飲み」出した。
朝から4時間弾いて、やっと「音が出てくる」ような代物には、
体力勝負で負けない身体がいる。たんぱく源を摂取するには、生卵が手っ取り早いという結論に達した。
日本画家、作曲家、ヴァイオリニストという3人を育てた千住文子という存在は、あまりにも大きい。亡くなって13年、いまだ喪失感はぬぐえない。いまも会いたいと思う。
演奏会後「伝わらなかった」と直言されることも多かったが、
その指摘は当たっていた。専門家ではないが「聴く耳」を持っている人だった。
長男の博さんには「私の方がもっとうまい絵が描ける」。
次男の明さんには「もっといい曲が作れる」。
長女の真理子さんには「もっといい演奏が出来る」
画家・作曲家・ヴァイオリニストの3兄妹を叱咤激励し続けた。
文子さんは言っていた。
「私の子育ては終わらない。
私が生きている限り、母という責任者でなくてはならない」
「生きているものは限りなく生きるための努力に力を注がなければならない。それが人間の責任なのだ」
「もう面倒だから、年齢も年齢だから、いいかげん死んでも構わないといった高齢者特有の諦めのような考えに賛成出来ない」
長男の博さんが日本画をやりたいと言ったとき。
父は「一途な情熱を高く評価するよ。本人が望むことがいちばん。ただし高いハードルを越えなきゃ駄目だ。芸大1本で受験しなさい」と諭した。
千住家の教育は、高いハードルを越えて進むこと。
背水の陣を敷かせること。退路を断つことを潔しとした。
勝敗を問題にせず、プロセスを大切にする教育だ。
3回目にしてようやく合格した。
次男の明さんは、父から「遊びの天才」と言われていた。
いったんは、父と同じ道に進むため工学部へ進んだが、中退し、二浪して、東京芸大作曲科へ。
方針転換したとき、父は「近道を探すな。苦労してハードルを越えてみせろ。後ろを振り向くな」と兄に言ったことと同じことを言った。
真理子さんの担当は、主に母。
ヴァイオリンのレッスンに付き添い、耳をそばだて、目を皿のようにして、先生の教えをかみ砕いて伝えてくれた。
自宅では、メトロノームの代わりに台所の千切りの音に合わせて練習した。包丁の音を聞き逃さない集中力、楽しみながら時間を忘れる無限のエネルギー。練習が単純にならないよう工夫してくれた。
20代、心が折れて2年ほどヴァイオリンをやめていた時期がある。
心が折れることも大切。人の痛みがわかり、人を受け入れることが出来る。父は「人生はロングレースなのだよ」と優しく諭した。 人の痛みを我がことのように出来る貴重な経験になった。
真理子さんは、去年デビュー50周年を迎えた。
64歳の今、残りの人生をどう生きるか考え始めている。
残り時間で何が出来るか、逆算しながら考えることが、かえって人生を豊かにする。
しわくちゃのおばあさんになってもステージに立ちたいと思う。
皺が聴こえてくる音色を奏でたいと思っている。
(この項続く)
千住3兄妹を育てた両親





