「落ち目の快感は成り上がりの快感に勝る」
「年をとったら下り坂を楽しめばいい」
「すくすく老いていく」
スカッとする言葉が並ぶ。
町にあふれる老人指南書は、そのほとんどが上昇志向。
なんらかの形で上昇し、難しい坂を登りきろうという発想だ。
人間は、年をとると、「まだまだこれからだ」とか「第二の人生」だとか、「若いモンには負けない」という気になる。こういった発想そのものが老化現象であるのに、それに気がつかない。
年をとったら、ヨロヨロと下り坂を楽しめばいい。
武者小路実篤の語録に、「桃栗三年柿八年 だるまは九年 俺は一生」がある。ここにある発想は持続する不屈の意志である。
時流などはどうだってよい、自分の思った通り生きるのがいいのだというのが嵐山流処世術。
去年暮れ訃報に接した嵐山光三郎さんの最後の著書『爺の流儀』を面白く読んだ。この本には嵐山さんの死生観も出ている。
嵐山さんは、死にかけたことが6回もある。「この世のおぼつかない漂流物」として、いつも死と隣り合わせにいる実感があった。
死はあらゆる人間に平等だ。
人は自分の死を体験出来ない。
死ぬことは、自分が死んだという判断を消滅させてしまう。
ただ、嵐山さんは、霊は不滅と考えていて、人の死は他界。
死は仏間に入るようなもの。
死はない。あるのは生前と死後。
本当のところは死んでみなきゃ分からない。
死ねば、みんないい人。
死は、人生最後の愉しみ。
