哲学者・谷川徹三は、息子俊太郎の詩を評価し、三好達治に紹介した。三好の引き合いで俊太郎は文壇デビューを果たした。
詩人・谷川俊太郎は、息子賢作の音楽を評価し、市川崑に紹介した。市川の要望で、賢作は映画「鹿鳴館」の音楽を担当し、音楽界にデビューを果たした。
親子が互いにリスペクトし合う関係ってステキだと思う。
この日の賢作さんは、オヤジ愛に溢れていた。
興に乗って、俊太郎作品をさもさも嬉しそうに、いくつも朗読した。
俊太郎作品にメロディをつけた曲も演奏した。
詩のリズムが音楽的だから作曲しやすいらしい。
俊太郎の詩を扱えるのは自分だけという自負もある。
父も「賢作の曲には、自分と共通する感性がある」「違和感がまったくない」「朗読に音楽が被るときも、何の打ち合わせをしなくても、予想通りの音楽が入ってくる」と手放しの褒めようだった。身内びいきの応援団長だった。
父が、去年11月13日に亡くなってはや1年になろうとしている。多くの人に「悲しみのお気持ちお察しいたします」と言われたが、どうもしっくりこない。正直「つまんない」という感じ。同志がいなくなった感覚がある。
晩年、「死んでみたい」「老後の楽しみは死ぬこと」と繰り返し言っていた。
亡くなる直前まで、135ミリの缶ビール飲んでいた
善福寺川べりを車椅子を押しながら散歩した。いつまでもTシャツ、Gパン、サンダル姿がよく似合う人だった
柔和で感情が高ぶらない。いるだけで、何があっても大丈夫と思える人だった。叱られた記憶はない。しつけは母親任せ。
外食はほとんどしなかった。「家路ちゃん」とあだ名をつけられていた。
息子だけが知る谷川俊太郎がいる。
息子だから紹介したい詩がある。
ぜひ、アーカイブで堪能してほしい。
(この項つづく)
寺島夕紗子さんが飛び入り参加。
父の尚彦さんと俊太郎さんは親友。



