見上げてごらん夜の星を。
永六輔さんが、七夕の日に星になってから、はや9年。
文化放送『日曜はがんばらない』で、TBSの「声」だった永六輔さんの特集をした。文化放送も懐が深い。
リスナーに永さんの想い出を募集したら、心温まるお便りが届いた。
永さんは、リスナーを大切にした。
晩年は、パーキンソン病と向き合いらながら番組を続けていた。呂律がまわらないので、番組を降りようとしたら、「しゃべらなくていいんだ。音がしているだけでいいんだ。永六輔がいるって気配があればいいんだから」と、小沢昭一さんにたしなめられた。
リスナーにこまめに返事を書いていたが、病気のせいで字も書きずらくなった。だが、ちょうど今頃の暑いころ、「お暑いことで」と、六文字だけ記された葉書をもらったというリスナーは、その葉書を家宝にしているという。
ボクも、「出るのはTBS、聴くのはNHK」をはじめ、簡にして要を得た葉書を何通もいただいた。みんな大切にとってある。
長文の手紙に、永さんへの感謝を認めてきた人もいた。
人生に行き詰っていた40代、永さんの番組に投稿して、名前を読まれたとき、人生最大の歓びを感じたそうだ。以来毎週のように投稿を重ね、自己肯定感を高めることが出来たという。
そういうリスナーが全国にいることだろう。
ボクも、高校生のとき、『土曜ワイドラジオ東京」にお便りを出し、読まれたとき、飛び上がらんばかりに嬉しかった。その時の想いを忘れずに、今も投稿を読ませてもらっている。
永さんはラジオについてこう語っている。
「ラジオでは聴いてすぐわかる言葉でなければならず、ややこしい理屈ではついていけない。高みからの解説ではなく、リスナーの目の高さで語る姿勢が必要なのだ」
この姿勢の元になるのが、民俗学者の宮本常一の影響だった。
永さんが学生時代、進路について迷っていた時に、宮本常一からアドバイスを受けた。「これからは放送の仕事が重要になる。ただ注意してほしいことがある。電波はどこへでも飛んでいく。飛んで行った電波の先に行って、その先に、どんな生活があるのか、どう暮らしているのかそれを見て話を聞いて、考えなさい」
永さんは、週の6日は、電波の先に出かけ、毎週土曜日に、それを飾らぬ言葉で伝えていた。
もう一つ、永さんが常々言っていたことがある。
「生きているということは誰かに借りを作ること。生きていくということはその借りを返していくこと」
ボクも永さんには、たくさん借りがある。
一生かかっても返しきれないが、マイクの前で、電波の先で暮らす人々の喜怒哀楽を感じる人でありたいとは思う。
永六輔さんの特集は、7月6日6:20~の文化放送『日曜はがんばらない』で放送予定。
©中井征勝
ボクが、
NHK退職後ほどなくTBSに出演させていただいた時。
(2012.7.14)