長嶋茂雄さんが亡くなった。享年89。
背番号3は、3日に永遠の旅立ちをした。
「ミスタープロ野球」。戦後日本の国民的スターだった。
ひとつの時代が終わった気がする。
ボクは巨人ファンではなかったが、長嶋さんの一挙手一投足に魅了されてきた。
去年暮れ、NHKが放送した『みんな あなたが好きだった』を改めて見返した。
長嶋さんが、どれだけみんなに愛された存在だったか再認識した。
戦後の日本が焼け野原から復興を果たし、国民が未来に向かって生きていたとき、長嶋さんの躍動感あふれるプレーに、どれだけ多くの日本人が励まされたことか。
彼は野球選手を超えたヒーロー、象徴的な存在となった。
中でも印象的なのが、1959年6月25日。
昭和天皇をお迎えしての史上初の天覧試合で、自らプロ入り初のサヨナラホームランを打った。
長嶋さんを長年取材してきたスポーツライターの小林信也さんがこう証言する。「あの日、野球少年が、みんなの長嶋になった」
さらに小林さんは、こうも言う。「がっかりであっても感動であっても、彼のグラウンドでの一挙一動が人に何かを与えることに貪欲。身体を使って感情がみんなに伝わるようにしている。目の玉一つ動かすことも無駄にしない天性の表現の持ち主だった」
まったくもって、その通りだと思う。
長嶋さんが打ち立てた記録もすごいが、これだけ人々の記憶にいつまでも残る人はいない。 まさに「長嶋さんこそ永久に不滅」だと思う。
王貞治さんも言う。「いいも悪いも長嶋さんが引き受けてくれた。だからボクは自分のペースで気楽にやれた」
長年の長嶋ファンのさだまさしさんは言う。「周りが自分のことを天才というなら、天才のフリをしてやろうと言い放った長嶋さん。なんてカッコイイんだろう」
詩人サトウハチローは、大の長嶋ファンであった。
番組の中で「長嶋茂雄を讃える詩」を紹介していた。
このブログも、その詩で締め括ろうと思う。
疲れきった時
どうしても筆が進まなくなった時
いらいらした時
すべてのものがいやになった時
ボクはいつでも
長嶋茂雄のことを思い浮かべる
長嶋茂雄はやっているのだ
長嶋茂雄はいつでもやっているのだ
どんな時でも
自分できりぬけ
自分でコンディションをととのえ
晴れやかな顔をして
微笑さえたたえて
グランドを走りまわっているのだ
ボクは長嶋茂雄のその姿に拍手をおくる
と同時に
「えらい奴だなァ」と心から想う
ひとにはやさしく
おのれにはきびしく
長嶋茂雄はこれなのだ
我が家でのんきそうに
愛児達とたわむれている時でも
長嶋茂雄は
いつでもからだのことを考えている
天気のいい日には青空に語りかけ
雨の日には
天からおりてくる細い糸に手をふり
自分をととのえているのだ
出来るかぎり立派に
長嶋茂雄はそれだけを思っている
その他のことは何も思わない
ボクは長嶋茂雄を心の底から愛している
自分をきたえあげて行く
長嶋茂雄のその日その日に
ボクは深く深く 頭をさげる