火の玉監督、後ろ指を糧に | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

阪神タイガースが好調だ。

交流戦を前にして30勝20敗2分。

12球団で30勝一番乗り。

圧倒的な投手力に、打撃陣も好調。

指揮を執るのは、藤川球児監督。

阪神の抑え投手時代「火の玉ストレート」と言われたが、監督になってからは、物静かに多くを語らない。

本音ズバズバの岡田前監督とは、大違いだ。

だが、静かにマグマが燃えている。

批判や批評をエネルギーにしながら、頂上を見据えている。

 

1980年、高知生まれ。

「球児」という名は、野球好きの父がつけた。

父親とたまに遊ぶときは、必ずキャッチボールだった。

「もう僕には野球しかないんだ」と思っていた。

周りのお兄ちゃんに、公園での野球に呼ばれて行った時に、上級生からも 「お前、名前通りうまいな」と言われた。

その気になって野球にのめり込み、高知商業時代、甲子園も経験した。高校日本代表にも選ばれている。

 

1998年、ドラフト1位で阪神タイガースに入団するが、

4年目ぐらいまで全く結果が出なかった。

2軍暮らしの中で、小さなことで自己満足の繰り返しをしていた。周りから評価されたいという意識があった。

2003年には、戦力外通告を受ける寸前だったが、その年に就任した岡田彰布監督によって救われた。

その後は、中継ぎ、抑えで活躍したことは言うまでもない。

彼の投げる「火の玉ストレート」は球界の語り草になっている。

メジャーも経験し、阪神に戻り2020年引退。

2024年、第36代阪神タイガース監督に就任した。

 

阪神タイガースには熱心過ぎるファンがいる。

贔屓の引き倒しで、プレーが伴わなければ「代わってしまえ、辞めてしまえ」と言われる。

藤川さんも現役時代、100回中1回しか打たれてなくても「あいつ、何でこんなとこでストレートばかり投げるんだ」と言われると、相当落ち込む。

だが、批判されるうちに、「この人は精神的に強いから、言っても大丈夫なんだろう」と思って、「どうぞ言わせてあげようという風に変わった」。

言ってくる人達に立ち向かわないようにした。

止めようとしないようにした。

「言わせてあげればいいんだ。この人たちは、今この一瞬を満足したいんだ。はけ口にしてあげたらいいんだ。これは演じてあげなければいけない」と、すっと流せるようになった。

指され続けた『後ろ指』をチカラにしてきた。

「指せるなら指してみなさい、後ろ指を。どうぞご自由に」と思える自分がいた。

指されたとき、もう自分はそこにはいない。

「指された瞬間、届く前に遠くへ行こうとするんです。極端に言ったらパワーに変わっちゃうんですよ」

だから監督になってからも、負けたときの酷評、選手起用の批判は、むしろ好物になっているはずだ。あえて多くを語らず、糧にして次に生かそうとしている。試合後の記者会見でも「次がありますから」をよく口にしている。

 

藤川監督が、胴上げされたあと、なんと言うだろうか。

「みなさんの後ろ指のおかげです。でも次がありますから」と言うかもしれない。

 

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