またまたアンパンマンネタ。
旧知のノンフィクション作家、梯久美子さんが、 「やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく」を出版した。
梯さんは、20代の頃7年間、やなせさんが編集長をしていた月刊誌「詩とメルヘン」の編集者として働いていたことがある。
「やなせ先生は叱ることも怒ることも一切ない。大御所という雰囲気はなく、風のような人でした。万年青年タイプ」と当時を振り返る。スタッフは男女問わず、名字に「さん」付けで呼び、誰とも等距離で付き合っていた。
やなせさんは戦時中、中国に出征し飢えに苦しんだ。
その経験を基に、おなかがすいた人に顔を食べさせるアンパンマンを描いた。梯さんは「人はいつか死ぬが、命は終わらないというのがテーマではないか。アンパンマンはジャムおじさんに新しい顔を作り直してもらいますが、それは、死とよみがえりを象徴しているんじゃないか」と気づいたという。
高知県生まれのやなせさんは5歳の時に父を病気で亡くし、その後再婚した母とも7歳で離ればなれになった。伯父の家に引き取られたが、実子ではないことに引け目を感じ、寄る辺なさを抱えて大きくなった。
やなせさんが書く文章には、どことなくさみしさがのぞく。
<ひとが生まれるとき おかあさんはくるしい 涙こぼしてひとが生まれる>
<海をみるたびに かなしみとなつかしさのいりまじった 心になる>
やなせさんの2歳下の弟・千尋は戦争中、駆逐艦に乗艦し、米軍の攻撃を受けて命を落とした。東京高等工芸学校時代の仲間も戦争で亡くなり、出征した中国では目の前で兵士が死んだ。
戦争をテーマに取材を重ねてきた梯さんは「20代で戦争を経験して生き残った人はみな、死んだ人のために何ができるのかを問い続けて戦後を生きた。やなせ先生も同じだったと思います」と語る。
アンパンマンがミュージカルになった時、やなせさんが作詞した主題歌にこんなフレーズがある。
<ぼくのいのちがおわるとき ちがういのちがまた生きる>。
梯さんは想像する。「弟や友人が若くして亡くなったのは悲しいし悔しいが、それは彼らの生がむなしいものだったことを意味しない。命はさまざまな形で引き継がれていく、という思いが込められているのでは。それが、自己犠牲の末にまたよみがえるアンパンマンにつながったのかもしれない」
戦後、やなせさんを悩ませたのは「正義の逆転」だったという。国のために命をかけるのが正義だと思っていたが、戦争に負けると日本がしたことは侵略だと言われた。
そして、戦後80年の今、世界では戦火が絶えない。
「現在も、それぞれの国が『正義』を旗印に戦っている。やなせ先生は正義の逆転に衝撃を受け、その苦悩が作品につながった。先生がどのように考えて、ひっくり返らない正義は飢えている人を助けることだとの思いに至ったのか。改めて考えてみてほしい」。梯さんはそう話す。
幼少期の寂しさや戦争の傷を抱えてきたやなせさんだが、梯さんは「経験してきたことの重さを感じさせない軽やかな人だった」という。
「人生は生きるに値すると、肯定的に見る精神を持っていた」。だからこそつらく重い経験を抱えていても、それを感じさせない「軽やかさ」がにじみ出ていたというのだ。
(毎日新聞夕刊2025.3.31付を参照)