コミュニティFMの可能性(上)~FMいるかの場合 | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

鎌倉エフエムの30周年特番を担当するにあたって、どうしても取り上げたかったことがあった。「コミュニティFMの役割と可能性」について、多角的に語り合うことだ。

全国のコミュニティFMに詳しいトトロ大嶋さんの協力を仰いだ。

日本最初のコミュニティFMの函館のFMいるか、能登半島地震の際、

住民に寄り添う放送をしたラジオななお、名物パーソナリティー渡陽子さんのいるあまみエフエム、3局に参加してもらった。

ラジオななおの車吉章さんは、このブログでも詳述したので、このたびは、函館と奄美のことを書き留めたい。

 

まず、コミュニティFMについて。

1992年に制度化された超短波放送(FM)用周波数(VHF76.0~90.0MHz)を使用する放送で最大出力は20W。

FMを使用する事業者は「県域放送」と「コミュニティ放送」に区分される。コミュニティ放送局は、放送エリアが地域(市町村単位)に限定されるため、地域の商業、行政情報や独自の地元情報に特化し、地域活性化に役立つ放送を目指す。

コミュニティ放送のキーワードは「地域密着」と「防災情報」。
県域放送やマスメディアでは取り上げない地元の情報を的確に市民に提供すること、地域情報の発信基地としての役割を果たしている。

災害時に、地域にとって有効な情報収集・伝達の手段として寄与している。非日常の出来事が起きたときのために日常の放送が大事になる。

もともとラジオはパーソナルなメディアだが、コミュニティ放送局は、さらにさらにパーソナルなメディアだ。

 

北海道函館市に「FMいるか」は、1992年12月24日に開局した日本初のコミュニティ放送局だ。「函館山ロープウェイ」の新規事業として誕生した。日本のコミュニティFM界を先導し、常に後続局の模範となってきたことが高く評価され、去年、第49回放送文化基金賞を受賞した。

愛称の「いるか」は、津軽海峡に生息するイルカの人懐っこさをモチーフに、地域密着の情報発信拠点を目指すことをテーマに命名された。

 

宮脇寛生 (みやわき ひろお)さんは、FMいるかの局長であり、パーソナリティーでもある。
1967年函館市生まれ。大学在学中からラジオ番組制作会社に所属し、NHK『ラジオ深夜便』の立ち上げから携わった。函館にUターン後、1995年FMいるかに入局した。その宮脇さんに電話インタビューした。

開局当初は、相当な苦労があったらしい。

各放送局の電波塔が林立する中、既存局からは大反対にあった。

電波障害の可能性はないのか、放送エリアが広くなりすぎるのではないかなど、調整は難航し、結局、当時コミュニティFMの出力上限は、法律上1Wだったにもかかわらず、FMいるかの出力は0.1Wからのスタートになった。

0.1Wでの放送エリアは予想以上に狭く、函館山から2キロ程の函館駅を越えると音声が不安定になる状態だった。

1993年7月に発生した北海道南西沖地震では、函館でも震度4を観測した。FMいるかでは、中継車を出して状況を伝えたが、聴取者からの反応は全くなかった。

潮目が変わったのは1995年6月のこと。

規制緩和により出力上限が1Wから10Wになった。このタイミングで3Wに増力した。30倍になることで劇的に放送エリアが拡大した。その存在は一気に浸透していった。

放送エリア拡大と並行して、防災という観点からも存在感を増していった。2004年の台風18号は、洞爺丸台風と同じコースを辿り、函館市内各所で倒木や倒壊などの被害と、全域で停電が発生した。

FMいるかでは、身近な生活情報を中心に4日間に渡って災害放送を実施した。この4日間の反響は大きく、聴取者からの情報提供・メッセージは確認できるもので2000通を超えた。

宮脇さんも、この時に、ラジオで身近な地域情報を提供することの必要性を実感したという。
東日本大震災発生時には、スタジオから津波の到達状況を見ながら避難を呼びかけた。最大波2.4mの津波を観測し、被害状況や生活情報を伝える31時間の災害放送を実施した。
2018年の北海道胆振東部地震で、全道ブラックアウトの際は、函館圏の停電が完全に復旧するまで災害放送を継続した。

総放送時間は69時間30分にもなった。

もちろん災害は起きてほしくないが、災害放送を重ねながらコミュニティFMと地域住民との信頼関係を紡いできたことは間違いない。

 

もちろん防災だけではない。

万一の時に聴いていただくには、日頃からの放送が非常に重要だ。

開局当時から放送している「人ネットワーク」では、街の今を伝えてくれる人を介して函館の息吹を感じてもらうことを心掛けてきた。

ラジオは人と人を繋げる役割も担っている。

見ず知らずの人の送るメッセージに耳を傾け、自分と共通する価値観を見つけると、我々の知らないところで実際に会って交流が始まることも珍しくない。コミュニティFM独特の距離感が、フェイス・トゥ・フェイスの繋がりになる。

 

宮脇寛生さん。