後の祭りにならなかった | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

祇園祭の後祭を、初めて見ることが出来た。

17日の前祭は、幼い頃、何度も見たことがあるが、24日の後祭は、見た記憶がない。2014年に49年ぶりに復活したので、ボクの幼い頃はあったはずなのだが…。

去年、見に行ったら、終わったあとだったので、文字通り、後の祭りだったが、今年は、宵山も巡行も見られた。

 

祇園祭は、平安時代前期の869(貞観11)年、京で疫病が流行した際、広大な庭園だった神泉苑に、当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、八坂神社の神輿を迎えて災厄が取り除かれるよう祈ったことが始まりとされる。千百年あまりの伝統を持ち、毎年7月1日から31日まで1カ月に渡る神事が行われる。祇園祭の規模の壮大さと歴史の長さは世界でも有数だ。

 

前祭に23の鉾や山、後祭に11の鉾や山が出る。

後祭のうち、鷹山は、江戸時代の大火や豪雨で被害を受けてから休み山となっていたが2022年に196年ぶりに巡行に復帰した。

鷹山は応仁の乱以前から巡行していた由緒ある山鉾で「くじとらず」の大きな曳山だった。

御神体は在原業平と言われる鷹匠、樽を背負い粽を食べる樽負、

犬遣いの御三方。

江戸時代に曳山となり、天明の大火で罹災した。

寛政年間に大屋根を持つ曳山として復活したが、文政年間に大風雨により大破し、巡行を取りやめた。

その後復活を果たせず、幕末の蛤御門の変にて大半の部材が焼失した。ただ、3体の人形は焼失を免れた。

令和4年(2022)、196年ぶりに巡行復帰を果たした。
幾多の災害にあいながらも七転び八起きで立ち上がってきた。

現存する34の鉾や山に、それぞれの物語がある。

町衆の思い入れも並々ならぬものがある。

千年の都の重みを感じる壮大な巡行を目の当たりに出来て、

とてもよかった。

 

鷹山を案内してくれた竹内照代さん。

京都ことば磨き塾の塾生の一人。

鷹山のご神体

鷹山の巡行(7月24日)