松山あさんぽ | 村上信夫 オフィシャルブログ ことばの種まき

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元NHKエグゼクティブアナウンサー、村上信夫のオフィシャルブログです。

松山のあさんぽを楽しんだ。

宿泊したホテルのすぐ近くに「坂の上の雲ミュージアム」があると知り、

出かけてみることにした。

 

松山城のある城山のふもとに、目を引く洋館が見えた。

100年前に建てられた萬翠荘だ。

大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫にあたる久久松定謨(ひさまつ さだこと)伯爵が、別邸として建設した。
陸軍駐在武官としてフランス生活が長かった伯爵好みの、純フランス風の建物は、当時最高の社交の場として各界名士が集まり、皇族方がご来県の際は、必ず立ち寄られた。

萬翠荘は戦禍を免れ、建築当時の様子をそのまま残す貴重な建築物として、平成23年(2011)に萬翠荘本館と管理人舎の2棟が国重要文化財に指定された。

萬翠荘は、総面積268坪の地下1階、地上3階、愛媛県で最も古い鉄筋コンクリート造り。ネオルネッサンスと呼ばれる格調高い様式で、西洋建築の多くは左右対称だが、萬翠荘は日本人のアンバランスの美意識、左右非対称で構成されている。正面の車寄せと玄関ホールの柱の頂部には、コリント式と呼ばれるギリシャ建築に由来の飾りが見られる。避雷針の先端には、松山藩の大判・小判が使われている。

冬晴れの空の下、往時の面影をそのまま残す洋館のたたずまいに、しばし見とれた。

 

道すがら、漱石ゆかりの場所もあった。

「愛松亭」あと。夏目漱石が松山赴任当初下宿した小料理屋跡だ。

漱石は、ここからの眺めが大変気に入り、正岡子規あての手紙で「我が宿所は、城山の中腹にあり眺望絶佳なり」と自慢している。

漱石は、庭の井戸水を汲み、茶をたて、庭では弓も引いたという。

 

さて、さて目的の「坂の上雲ミュージアム」。

開館時間の9時ちょうどに入館した。

坂の上の雲ミュージアムは、松山のまち全体を屋根のない博物館とする『坂の上の雲』フィールドミュージアム構想の中核施設として2007年オープンした。

小説に描かれた主人公3人の足跡や明治という時代に関する展示に加え、まちづくりに関する情報提供や発表の場となっている。

小説『坂の上の雲』は、松山出身の秋山好古、真之兄弟と正岡子規の3人の生涯を通して、近代国家として成長していく明治日本のすがたを描いた作品。小説は1968年から1972年にかけて産経新聞に連載され、テレビドラマとして2009年から2011年に放送された。

その冒頭部分に書き出しにしびれる。

 

まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。
小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。
産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の間、読書階級であった旧士族しかなかった。
明治維新によって、日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。誰もが「国民」になった。
不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。
社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格を取るために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。

今から思えば実に滑稽なことに、米と絹の他に主要産業のないこの国家の連中がヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした。陸軍も同様である。財政が成り立つはずは無い。
が、ともかくも近代国家を創り上げようというのは、もともと維新成立の大目的であったし、維新後の新国民達の「少年のような希望」であった。

この物語は、その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つロシアと対決し、どのように振る舞ったかという物語である。
主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれない。ともかくも、我々は3人の人物の跡を追わねばならない。

四国は伊予の松山に、三人の男がいた。
この古い城下町に生まれた秋山真之は、日露戦争が起こるにあたって、勝利は不可能に近いといわれたバルチック艦隊を滅ぼすに至る作戦を立て、それを実施した。
その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコサック師団を破るという奇蹟を遂げた。
もうひとりは、俳句、短歌といった日本の古い短詩型に新風を入れてその中興の祖になった、俳人正岡子規である。
彼らは、明治という時代人の体質で、前をのみ見つめながら歩く。

登っていく坂の上の青い天に、もし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、それのみを見つめて、坂を登ってゆくであろう。

 

見学しながら、もう一度、「坂の上の雲」を読み返したくなった。

 

左から、秋山好古、秋山真之、正岡子規