大妻女子大学で種まきしてきた(11月30日)。
ここの短期大学部家政学科で、
旧知の上田晶美さんが講師をしている。
上田さんは、キャリアコンサルタントとしての経験を活かして、
「コミュニケーション論」の授業を担当している。
その一コマに、ゲスト講師として招かれたのだ。
上田さんには、ラジオビタミンにレギュラー出演していただいていた。
そのご縁で、今回もご依頼を受けた。
上田さんには、かつて、そのご著書『働くための「話す・聞く」』で
インタビューを受け、
アナウンサーとして考えるコミュニケーションの話をし、
その内容が、本の中に紹介されている。
学生たちは、その記事を熟読し、事前リポートを書いてくれた。
そのすべてを熟読したが、
しっかりとコミュニケーションを見据えてくれていると嬉しくなった。
その中からいくつか紹介。
「相手に対する一生懸命な心こそが、コミュニケーション」
「自分の姿勢しだいで、コミュニケーションの形は無限大」
「会話の途中で生まれる間は、気まずいだけと思っていたが、
意味があることがわかった。
親しい人との会話の中で生まれる間と同じような安心感を、
初対面の人との会話の間で見つけるのは難しいかもしれないが、
間を恐れることなくコミュニケーション取れたら嬉しい」
「聞き方も十人十色でいい。自分らしい相槌や間を探してみたい」
「相手を肯定することが大切」
「相手の変化に気づいたら褒めることがコミュニケーションの第一歩」
「自分が言われて嬉しかったことばを、人にも使っていきたい」
「誰かと話したくなった。知らない人とも話してみたいと思った」
いいぞ。いいぞ。
ボクの講義中は、いささかおとなしかったが、
想いのバトンは、彼女たちの心にしっかりと渡ったと信じている。
講義でのボクからの質問に、答えが見つからなかった場合もあれば、正反対の答えが出た場合もある。
回答うんぬんより、あまりにも身近で、あたりまえすぎる
「ことば」について、真摯に想いを巡らせてほしいのだ。
ふだん、「有難う」「いただきます」「おかげさま」の意味をわざわざ考えたことないだろうから・・・。簡単に納得したり妥協したりせずに、自分の考えを持ってほしいのだ。
正解も不正解もない。別解を編み出してほしいのだ。
(中央が上田晶美さん、
右は企業研修講師の嶋尾かの子さん)
※大妻女子大学の創設者は、大妻コタカという。
明治17(1884)年に広島県世羅郡三川村(現世羅町)に生まれた。
農業と両立させながら勉学に取り組み、高等小学校へと進学。
17歳で母校の代用教員となった。
向学の志やみ難く、明治35(1902)年に上京したコタカは、
和洋裁縫女学校に通いながら勉学を続け、
明治40(1907)年に鎌倉尋常高等小学校の教師となった。
結婚後も教育に対する情熱は冷めることなく、
コタカは明治41(1908)年、24歳で私塾を開設。
その塾が、現在の大妻女子大学に繋がる。
以来、昭和45(1970)年に85歳で亡くなるまで、
その生涯を女子教育に捧げた。
この本のP114~121に村上の記事がある。