数学者の岡潔は「情」の人だった。
数式に情の入り込む隙間はなさそうに思うが、
難問を解き明かしながら、「無我」の境地に達し、
戦後、自我剥き出しになっていく日本人を憂えたのかもしれない。
岡は、戦後民主主義を「行き過ぎた個人主義」と批判している。
個人主義といえば聞こえはいいかもしれないが、
自分さえよければいいという考え方ではないだろうか。
科学することを知らないものに、
科学の知識を教えるとひどいことになる。
科学技術のみを追求していくと、
いずれ人類は滅びると警鐘を鳴らす。
岡は、最終講義でこう述べる。
「大宇宙は一つの心。情といってもいい。
情の2つの元素は、懐かしさと喜び。
花が咲いて蝶が舞う。
どうして蝶には花が咲いていることがわかるのか。
つまり、それが情緒が形となって現れるということ。
花の情緒に蝶が舞い、蝶の心に花が微笑む。
情には情がわかるのだ」
数学者の最終講義とは思えぬ情感豊かなことばが並ぶ。
こういう「想像力」を持った知識人が、いまいるだろうか・・・。
岡は、
「人は、大宇宙という一本の木の、一枚の葉のようなもの。
幹がなければ葉は生きられない。
人は宇宙、大自然の一部であるという因果を自覚せよ」とも言う。
詩人の田村隆一も言う。
「半世紀の間に2つの大戦を経験しなければならなかった
我々の文明が、この地上で最も破壊したのは、言葉と想像力だ」
言葉と想像力は、愛と理解に満ちた世界をたどるための道具として、
人間だけに与えられた特性だったのだが、その道具を使うことは容易ではなくなったということだ。
山折哲雄さんと高山文彦さんという博識2人が、
岡潔の箴言をひもときながら、日本の未来を案じる。
読んでいると、瀬戸際だ、土俵際だと思う。
だが、この際でこらえねば、日本人の情緒がすたる。