久しぶりにジョン君のコラムを | こりあうぉっちんぐ

こりあうぉっちんぐ

 嫌韓ではありません、笑韓です。観ているだけなら、これほど面白い人たちもありませんから。


テーマ:

2018/6/12 朝鮮日報

【コラム】自国の拉致被害者を見捨てない日本、見捨てた韓国

 

 

 

 

 

 日本が米朝対話の過程で、前提条件として非核化と共に根気強く強調してきた問題が北朝鮮による「日本人拉致問題」だ。日本が拉致問題解決を主張するたびに、韓国メディアは否定的な反応を示す。非核化の対話から疎外された日本が、悪あがきして韓国と米国の足を引っ張っているというわけだ。

 

 日本政府が主張する日本人拉致被害者は17人。北朝鮮はこのうち13人について拉致の事実を認めた。生存者5人を日本に帰国させ、謝罪もした。しかし日本政府は北朝鮮を信じていない。残る12人についてだ。北朝鮮が「死亡した」と主張する8人と北朝鮮が拉致を認めていない4人の帰国を、日本は北朝鮮核問題解決の前提条件としている。北朝鮮の核は東京を攻撃する恐れもある。東京が攻撃されれば数百万人の命が奪われる。日本国民の北朝鮮の核に対する恐怖は、韓国に勝るとも劣らない。それでも日本は12人のことを諦めていない

 

 韓国を基準に考えると、日本の対応は過剰なように思える。6.25戦争(朝鮮戦争)当時、北朝鮮に拉致された韓国人は、名簿で確認されただけでも9万6013人に上る。ソウルに住んでいた男性の3%が北朝鮮に連れていかれた。その中には法曹関係者、技術者、公務員らが多数含まれていた。北朝鮮から帰国していない韓国軍捕虜も、少なくとも2万人はいると推定される。休戦後に北朝鮮に拉致されたまま戻っていない韓国国民も500人以上いる。世界史に残る民間人拉致犯罪だ。それにもかかわらず、韓国は拉致被害者の生存確認や生存者の送還を北朝鮮に求めていない。日本の度量が狭いのか、韓国が非情なのか

 

 6.25戦争の開戦から68年が過ぎた。拉致被害者の多くは既にこの世を去った。生存者もほとんどが、北朝鮮に定着して家族ができ、現地で仕事を持って生計を立てていることだろう。しかし、もう忘れてもいいのだろうか。「朝鮮王朝実録」に全く同じ質問が記録されている。1643年、朝鮮通信使として日本に渡った尹順之(ユン・スンジ)は仁祖に尋ねた。壬辰倭乱(文禄・慶長の役)から半世紀が過ぎたときだった。「日本に捕らえられた人々は老いて死にゆき、生きていたとしても生活のことでいっぱいで祖国を懐かしむ気持ちはないようです。連れ戻す件はどうしましょうか」。すると仁祖はこう答えた。「戻る気持ちがないとしても、われわれは当然、言わなければならないだろう

 

(中略)

 米朝の首脳は今回、北朝鮮の非核化と体制保証を約束した。しかし、うわべだけの約束に近かった。北朝鮮は米国との書面での約束だけで、韓国に物理的な見返りを求めるだろう。飢えに苦しむ北朝鮮が、今すぐ支援を期待できる相手は現実的に考えて韓国だけだ。しかし、「タダ」はない。拉致被害者と家族にとっては今回が事実上の最後のチャンスだ。現政府が大韓民国の政府なら、以前と同様に離散家族再会の際に韓国人拉致被害者を何人か含める形を取るようにして、韓国人拉致問題を終わらせないでほしい。拉致された人々も、苦難の人生の中で国と政府の価値を感じるチャンスを一度ぐらい与えられるべきだ

 
社会部= 鮮于鉦(ソンウ・ジョン)部長 

 

1 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/06/12/2018061203713.html

 

2 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/06/12/2018061203713_2.html

 

引用ここまで

 

 緑色の文字列は関連記事へのリンクです

 

 

 ジョン君のコラムを取り上げるのは久しぶりのような気が。まあ保守派の朝鮮日報ですし、知日派のジョン君ですから、北朝鮮のことなどは信用していないでしょうしねえ。

 

 それにしても拉致被害者に対する扱いねえ・・・・・・わかりますよ。日本にも土井たか子をはじめとする左巻きが大勢いますし、連中は北朝鮮の手先として拉致などは否定していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし金豚二世が拉致を認めて被害者の一部を帰したんで面目は丸つぶれ・・・・・・なんて考えていないか。左巻きなんぞは恥知らずに決まっていますから。

 

 ”日本に捕らえられた人々は老いて死にゆき、生きていたとしても生活のことでいっぱいで祖国を懐かしむ気持ちはないようです。連れ戻す件はどうしましょうか”・・・ヒデヨシの朝鮮征伐は別名「焼き物戦争」と呼ばれていましたな。

 

 要するに朝鮮の陶工を大勢連れ去って、主として西日本の大名が陶磁器産業を興したからなんですが。

 

 そういう陶工を諸藩は保護しまして、多くの場合は彼らに武士という下級貴族の地位を与えました。

 武士には家禄が付きますし、身分は保証されていますから、江戸時代を通じて彼らは家業に励むことが出来ました。

 

 司馬遼太郎は「故郷忘じがたく候」という小説で薩摩焼の沈寿官家のことを書いていましたが、日本では有田焼の李参平の方が有名かも知れませんな。

 

 まあ2008年7月11日のアサヒ新聞などは”懐かしいふるさとに帰りたい――。ハングルで望郷の詩が書き込まれた江戸期の抹茶茶碗が、京都の古美術収集家の遺族から韓国・ソウルの国立中央博物館に寄贈される”・・・とか書いていましたが、現実には朝鮮日報が書いた通り”祖国を懐かしむ気持ちはないようです。連れ戻す件はどうしましょうか”・・・ということだったのです。

 

 しかし当時の李朝の王様は寅さんよりは偉かったようで”戻る気持ちがないとしても、われわれは当然、言わなければならないだろう”・・・と。

 

 事実、李朝からは徳川家康に対して捕虜帰還の要求がありましたし、家康も諸藩に要請はしたんですが、江戸時代の藩は今のアメリカの州より独立性は高かったですから、家康でも内政干渉は出来なかったんです。

 

 それにそもそも陶工が帰りたがらなかったんですから。

 

 

 

 

 

 

 

 保健所に帰りたがるわけも。

ご隠居さんの読者になろう

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス