第4病日。

入院2日目。

 

入院初日はあらかじめ休みをもらっていましたが、2日目からは通常勤務にもどりました。

朝の出勤から夕方私が帰るまでは、父母のどちらかが坊の付き添い。私は坊の病院と自分の病院を往復し、退院の日まで、家に帰ることはありませんでした。

 

初日のグロブリン開始からものの数時間で解熱した坊。

一度熱が下がっても、その後ぶり返すこともあるのですが、有り難いことに坊の場合は、このまま再燃なく経過しました。

解熱してからは、ご飯も食べるし、足の関節痛もなくなり、目力も戻り、会話も普通にできるようになりました。つまり、少なくとも自覚症状は、寛解したのです。

元気になった坊は、まったり「おうちに帰りたい」「お散歩に行きたい」「ずっとこんな所にいたくない」「保育園に行きたい(!)」とまで言い出しました。

しかし退院は、まだまだまだまだです。

解熱をキープし、点滴が終了したのが入院7日目。その後、内服ステロイドの量を5日毎に漸減させ、結局退院できたのが11日目でした。入院後の坊の臨床経過は願ってもないほど順調でしたが、それでも一度ステロイドを始めるとこの日数はかかるのでした。

 

入院中、坊はステロイド投与中で易感染性であるため、病室を出てはいけないとされ、病室のトイレに行く以外は常にベッド柵の中で過ごしていました。少しでも楽しく過ごしてもらおうと、タブレットPCや絵本やシールブック、パズルなどを持ってきてもらいましたが、点滴をされ片手を動かせない状況では本のページをめくることもままならず、半拘束状態に坊は癇癪を起こしました。

それでも徐々に、動かせない腕とも器用に付き合うようになった坊。

 

紙コップや紙切れに、ひたすら小さいゴニョゴニョを書きつけていました。

 

 

 

 

坊はお風呂も許可されませんでしたので、こまめに清拭だけしていました。ただ、点滴のシーネ固定部は拭けないので、手からは酸っぱい臭いがしていました。

 

慎重な坊は、入院初日に癇癪で点滴を引き抜いて以降は、点滴された腕を常にかばって過ごしていました。それでもどうしても小児の点滴は詰まるので刺し替えも何度かしました。私だったら絶対に入れられない(やったことがない)小児のルートキープ。この病院のドクターはみんな上手で、いつもスムーズに入れてもらえていました。

坊は、ルート処置でフィッシュネット固定されるのは観念して受入れたようでしたが、

 

まったり「マミーも一緒がいい!」

 

と訴えたり、それが無理と知ってからは、

 

まったり「マミーの声を聞かせて!」

 

と叫びながら処置されていたそうです。

処置室に隔離されているので私にはその様子は分かりませんが、後からドクターが教えてくれました。

 

 

 

 

(ノ_・。)(ノ_-。) 

憐れ。。。

 

 

 

 

持続点滴が終了して1日3回のステロイド静注にかわってからは、静注時間以外は点滴をコンパクトにまとめて動きやすくしてくれるのかと思っていたのですが(←大人はそう)、小児の点滴ルートはつまりやすいため細胞外液を持続点滴するのだそう。

そのため24時間点滴は続き、点滴がある限り、エア入りの警報音で眠れない夜は続きました。警報音が鳴り始めてから看護師が来るまで時間がかかるので、坊が起きる前に自分で警報音をとめて直してあげたいのを、ぐっと我慢するのが大変でした。

ある夜、やって来た看護師が、警報音で起きて泣いている坊に、

 

「眠りが浅いね。敏感だね」
って。。。

 

 


 

(。≧Д≦。)

 

何を言っているの!意識混濁なきゃ普通寝られないよ、こんな状況!実際、私がうるさくて寝られないもの!ルートに繋がれて、不安もいっぱいの坊が寝られるわけがない!




と、顔ではお礼を述べながらも、そして看護師に悪気はないと分かっていても、気が立ってしまうのでした。

病児の親は、ガラスの心でした。

 

点滴さえ外れればストレスの9割から解放される、とその日を切望する日々。

解熱を5日間キープし、ガイドライン的には点滴がとれるはずと期待していた日に、「カレンダーの都合で」点滴が2日延びると聞いた時には、失神しそうでした。

大げさなようですが、患者にとっては治療ってこういうものだと実感し、医療人としての自分にも大切な経験になりました。

 

 

入院7日目。

ようやく点滴が外れ、投与薬はすべて内服になりました。

酸っぱい臭いのする、頑張った坊の腕を丁寧に丁寧に、拭きました。

 

ステロイドの内服薬はとても苦く、アスピリンもそこそこ苦いです。病院は、チョコレートペーストなど味の濃いものに混ぜて飲ませることを勧めていましたが、坊はそういう飲み方はしたがらず、グッと顔をしかめて麦茶で飲み込んでいました。

いきなりそう出来ていた訳ではなく、最初の頃は、

 

まったり「どうして飲むの!?」

まったり「いつまで飲むの!?」

 

といつも嫌がっていました。風邪の時と違って、今の坊には何の自覚症状もないのですから、無理もないことです。2日目に、薬を差し出した私に坊は枕を投げつけ、薬をこぼしてしまいました。でもそれで頭を冷やしたようで、それからは麦茶で薬を飲むようになりました。


入院日数がすすみ、ベッド柵の中の生活が長引くとともに、坊は気が立つようになりました。座った目で、まったり「バカだ!バカだ!」と誰に対するでもなく吐き捨てるように言うことが増えていきました。

怒りと理性の間で、絶望の希望の間で、3歳の坊も、葛藤していたと思います。

 

「悔しいね。分かるよ。ずっとじゃないからね。頑張って薬飲んで、元気になったらおうちに帰るからね。絶対に帰れるからね」

 

そう言って抱きしめ、励まし続けましたが、坊は自分ではもうどこも悪くないのですから、私の言っていることを納得しろと言っても難しかったと思います。私のことは信頼してくれていたと思いますが、それでも「エンドレスに治療が続き、家に帰れないかも」という不安もあったかもしれません。どれだけ悔しく、絶望的だったことかと思います。

せめて私か祖父母か、家族の誰かが必ず、1秒も坊の傍を離れずにいてあげられたこと、そのことだけが救いでした。