来歴

アマチュア

6歳から父の影響でボクシングを始める。興國高校3年の1993年、高校選抜ライト級で優勝。近畿大学時代はボクシング部で主将を務め、1997年になみはや国体ライト級成年の部2位になるなどの活躍をしたが、当初はプロにならず児童福祉施設職員となって社会福祉主事の資格も取得した。翌1998年には施設利用者から勧められ、ブランクがありながらも社会人選手権ライトミドル級に出場し優勝を収めた。1999年、全日本選手権ライトミドル級3位となりプロへ転向した。

プロ

スーパーウェルター級

2000年5月20日、アマチュアエリートとして6回戦でプロデビューし、長身を生かしたアウトボクシングで判定勝利を収めた。

2001年3月1日、OPBF東洋太平洋スーパーウェルター級王者宗国烈を11R負傷判定で下し、デビューから6戦全勝で同王座を獲得した。

2001年5月13日、OPBF東洋太平洋スーパーウェルター級暫定王者竹地盛治との統一戦に判定で初黒星を喫すると同時に王座陥落した。

2001年9月24日、横浜アリーナで行なわれた徳山昌守の世界戦の前座で、河合丈矢の持つ日本スーパーウェルター級王座に挑戦するも判定負けで獲得ならず。その後1勝1分となった。

2002年6月20日、ネイダー・ハムダンの持つOPBF東洋太平洋スーパーウェルター級王座に挑戦するも判定で敗れ獲得ならず2

2002年10月10日、河合が眼筋麻痺の手術のために設けられた日本スーパーウェルター級暫定王座決定戦をクレイジー・キムと争うも判定負けで戴冠ならず。その後、板垣俊彦や大東旭に勝利を収めた。

2004年6月14日、日本スーパーウェルター級王者クレイジー・キムと再戦するも判定でまたも敗れ王座獲得ならず。

2005年11月19日、ミスターXとして出場したB:Tight!スーパーウェルター級で永瀬輝男らを下し優勝を果たした。

2006年12月2日、キムの王座返上により行なわれた日本スーパーウェルター級王座決定戦で松元慎介を破り同王座を獲得した。

2度防衛後の2008年7月18日、WBA世界王座挑戦に備え、日本王座を返上した。

2008年9月22日、大阪府立体育会館でWBA世界スーパーウェルター級挑戦者決定戦を同9位として8位マルコ・アベンダーニョ(ベネズエラ)と行ない、2-1の12R判定勝利を収めて挑戦権を獲得した。

2009年8月30日、世界初挑戦。大阪府立体育会館で行なわれたWBA世界スーパーウェルター級暫定王座決定戦に出場。アベンダーニョと再戦し、3-0(119-109、118-110、117-111)の判定勝ちで王座獲得34。34歳での世界王座獲得は日本歴代2位の年長記録となった5

2009年12月29日、大阪府立体育会館で同級15位のオネイ・バルデス(コロンビア)と対戦し、3-0(119-108、118-109、117-110)の判定勝利で初防衛に成功した67。なお、この試合は世界戦として極めて異例ながらノンタイトル戦(井岡一翔の世界前哨戦)の前座として行なわれた8

2010年10月9日、正規王者ミゲール・コットのスーパー王座昇格に伴う正規王座決定戦に出場。メキシコ・テピクにて同級9位のリゴベルト・アルバレス(メキシコ)と対戦したが、1-2(114-113、113-114、112-115)の僅差判定負けを喫し正規王座獲得ならず。同時に暫定王座からも陥落した9

2011年、サウル・アルバレスを擁するプロモート会社カネロ・プロモーションと3試合契約した。

ミドル級

2011年4月9日、アメリカ・ラスベガスのMGMグランド・ガーデンアリーナにて、WBO世界ミドル級4位で27戦全勝(24KO)のジェームス・カークランド(アメリカ)と対戦。試合前のオッズでは17対1という圧倒的不利の下馬評だったが、初回に3度ダウンを奪い、大番狂わせの1分52秒TKO勝利で再起を飾り、一躍脚光を浴びた[10][映像 1][映像 2]。また、米国で地上波中継がなくなって以来、最も権威あるボクシング番組とされてきた[11]HBOがPPV生中継する興行での勝利は日本人史上初。番組進行役のジム・ランプリーは1990年にジェームス・ダグラスがマイク・タイソンを下した試合を超える番狂わせだと言い[12]、この試合は『リングマガジン』[13]と『スポーツ・イラストレイテッド』[14]のアップセット・オブ・ザ・イヤーを受賞した。

2011年10月4日、金沢ジムからグリーンツダジムへ移籍[15]。

2011年11月26日、メキシコ・メキシコシティでエディソン・エスピノサ(メキシコ)と対戦し、初回2分58秒TKO勝利を収めた[16]。

2012年2月18日、アメリカ・テキサス州コーパスクリスティにて、HBOに次ぐボクシング中継局であるショウタイムが生中継する興行のメインイベントとして行われたWBCインターナショナル・スーパーウェルター級シルバー王座決定戦で、元世界2階級制覇王者ポール・ウィリアムス(アメリカ)と対戦するも、0-3(3者とも108-120)の大差判定負け[17]。

その後、史上最多タイ記録の世界6階級制覇王者で「世界3大プロモーター」でもあるオスカー・デ・ラ・ホーヤが社長を務めるゴールデンボーイ・プロモーションズと3試合契約をした[18]。

2012年5月1日にロシア・モスクワでWBO世界ミドル級タイトルマッチとして、WBO世界ミドル級王者ディミトリー・ピログ(ロシア)との対戦が決定。しかし、日本ボクシングコミッション(JBC)が現状としてWBO・IBFを公認団体として認定していないことから引退届を提出。JBCから離れて活動することとなった[19]。試合は王者に対して決定的なダメージを与えることができぬまま0-3(111-117、109-119、108-120)の大差判定負け[20]。


我ながら、面白いボクシング人生w


ここ最近は
メキシコ2試合、アメリカ2試合、ロシア1試合…

世界中を、かませ犬?として飛び回っているのが、ある意味自慢かな?(笑)



メキシコでの合宿生活w
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ロシアでは、試合前に寿司握ったり
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ビックネームとの試合
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番狂わせとなったカークランド戦
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次はまたヨーロッパ…有るかもw

決まって欲しい(>_<)




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