自分は子育てに向いていないのだろうなと思っている件について。 | うっかり女子でもちゃっかり生きる♪ADHD不注意優勢型・雨野千晴☆いつもココロはあめのちはれ☆

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頭の中が多動なADHD不注意優勢型・37歳で診断された超うっかり者の私でも、毎日楽しく生きられます♪失敗しても大丈夫♥自閉っ子&ADDタイプ兄弟子育て中シンママです。うっかり女子でもちゃっかり生きる私の日常を綴ってます(^O^)/

私は子育てに向いていないのだと思う。



 

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「子育てに向いている」という資質が何なのかもわからないけれど

 

 

 

 


少なくとも、私の中の「理想の母親像」みたいなものに、自分はどうやらなれなそうだ、という意味で。






育休の4年間、どっぷりと子育てにはまり
 

保健所の子育て講座を常にチェック、離乳食講座やら手遊び歌講座、その他リトミックに読み聞かせに体操教室に


ありとあらゆる子育てのための催しに足しげく通った。





子育て本を買いあさり
片端から読破していった。




 

そんなふうにして、最終的に行きついたのは


「子育てで一番重要なのは親の自己肯定感」

もうそれさえあればあとはなんとかなると思って、子育てメディアでのライター活動も卒業した。



 

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さて、その後私は「子育て」というカテゴリーの外の

自分が学びたいもの
やりたいこと
会いたい人に会う事

に没頭した日々を過ごしてきた。





そして、

「あぁ、私ってお母さんに向いてないのかも」
 

 

 

 

と思った。





家のこと、全然できないし。


子どものやりたいより自分のやりたいを優先させちゃうし。





お母さんってきっと、こんなんじゃ、ダメなはず。





もっと包容力があって

 

どんなときも「大丈夫だよ」って言ってあげられる


そんなお母さんが私の理想なのに

気付けば5歳児と張り合っている始末なのだ。





そんなふうに自分のダメ母ぶりに落ち込んでいた最中

先日、瀧波さんにお目にかかる機会を得た。



 

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こんな素敵すぎるコラムを書いている方。↓
https://note.mu/kazoku_sukiyaki/n/n5eabf444fc6e

 

 

 


子育てメディアで編集をやっておられる。それが以前私が書かせていただいていたメディアというところにも勝手にご縁を感じた。




さらにさらに。


私とハルが本当にお世話になった、リーフ(現リタリコジュニア)という療育施設で指導員をされていた経歴をお持ちで。



これまた素敵すぎるこんな記事も書かれているのだ。↓
https://note.mu/kazoku_sukiyaki/n/nd7be1f38bfb3


静謐で、思索ある、こんなにも素晴らしい文章を書く方というのはどんな方なのだろうと思い、ドキドキして当日を向かえた。



そこに現れたのは、アクティブで、ものすごく頭の切れる、エネルギー溢れる女性だった。



写真の右側の女性が、この機会を作ってくださった致知出版社の藤尾さん。

 

中央が、瀧波さん。

 

 





いろんなことをお話したのだが、その中で印象に残っているのは
 

瀧波さんが何度も「バランス」について言及されていたこと。


子育てがしんどい、助けを求めていい

それはもちろんそうだと思うのだけれど、「しんどいしんどい」そればかりの発信もバランスが悪いんじゃないかな、と感じておられるとのこと。






どうしてもそこはふんばらなきゃ、という一線があるのではないか、とのお話も心に残った。





子どもがレストランで食べこぼす、それにイライラしていたり


「いつも私は(子どもの世話で)冷めたものしか食べいない。あなた(ご主人に向けて)はいいわよね!」

 

なんて夫婦で話しているのを、子どもはちゃんと聞いていて、自分が悪いんだって思ってしまう。




子どもが子どもらしくあるために、それを守ることは大人の役割ではないか

そんなことをお話くださったのだった。







さて、それから日をあけて
 

こんどは、致知出版社の藤尾社長にお話を伺う機会を得た。

 


 

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人間学を40年追及してきた致知出版社。社長の信念を会員制の月刊誌「致知」で毎月拝読し、どのような方なのだろうと楽しみにお目にかかると

 

 

 


とても朗らかで、食事したお店で働く従業員のお一人おひとりの名前を覚え、働きぶりの素晴らしさについて声がけをされる、本当に素敵な方だった。(写真手前、右が藤尾社長)




そんな社長の在り方に

『人間という存在の核には、元来「愛」「信頼」「善意」・・・そのような、よいものであるのだ』

致知読者の交流会で到知の方に伺ったお話を思い出した。





出会った方のよい部分に目を向け、それを日常生活の中でも自然にフィードバックされる藤尾社長。



それを受け取った相手には、少し恥ずかしそうな笑顔がぱぁっと広がっていく。

 

 


その空間全体がじんわりと優しさに包まれて行く、そんな時間だった。







「『良いお母さん』って、どんな人だと思われますか。」

 

 


思わず口をついて出た質問に、藤尾社長は、それを語るには時間が足りないなぁ、とおっしゃりながらも

 

 


「『母親』というのは、全ての土台となるもの、座するもの。それに対し『父』とは敬の的となるものであるべき。人間が生きていくには、愛情だけでなく、尊敬の対象が必要なのだ」



と教えてくださった。


 

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私が「子どもがほしい」と思ったのは、旦那と2人の生活に、赤ちゃんがいたらきっと楽しいだろうなぁ、と思ったからだった。



それだけ。

 

 



そして、ハルが生まれた時も感じていたのは
 

この人は私の所有物ではなくて
私とは別の人格を持った人間で

一定期間、一緒に過ごす仲間なんだ

ということ。






正直に言って、私に子育ての方針のようなものは何もない。




唯一あるのは、
「自分で自分を好きと思える子に」
というものだ。

 

 

 

 

 

そんな私が

 

一応、7年も母親をやってきたのに、ここにきて初めて「責任」というものを感じた。

 

 

 

 

 

この人たちが
ひとり立ちしていくまで

人生を預かっているんだ

 

と、本当に今さらながらなのだけれど
 

 

 

そんなことを思って
なんだか足がすくんだ。


 

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クリスマスイブの日

ヒロがケーキを作りたいというので準備していた。

 



そのうちに、ハルとヒロがちょっとしたことで揉め始め、2人とも大泣きになってしまった。


さらに、3人で作っていたケーキを

「四角じゃなくてまるいのがいい」
と、オーブンで焼く段になって、ヒロは不機嫌になりだした。



一瞬にしてクリスマスイブが険悪ムード。。。



もーーーーーーーーーー


と思った時、ふと



瀧波さんや、藤尾社長がお話してくださったことを思い出した。



 

 

私はこの人たちと、一緒に生きている時間をどんなふうに過ごしたいのだろう


この人たちとどんなチームを作っていきたいのだろう?


と考えてみた。





そして考えながら、あぁ、家族ってチームなんだよなぁ

 


と思った。



失敗しても大丈夫
それすらも、楽しむ



そういうチームにしていきたい。
それで、2人にこんなふうに話した。




「ねぇ、2人とも、お出かけして疲れてるし、うまくいかないことや思い通りにいかないこともあったね。


悲しい気持ちにもなったね。


だけど、せっかくのクリスマスパーティだから、気持ちを切り替えて楽しい時間にしてみない?」





その後

これを作ろうと思って

 

 

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こうなったり↓

 
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パーティって家族だけじゃだめだから!だれかお客さん呼ばないと!隣の人(←アパートのお隣さんのこと)呼んでこようか!?

という、クリスマスイブ当日の夜にお隣さんを今から呼ぼう!という超近所迷惑な師匠の提案をなだめたり




俺は部屋にいる、と風邪で引きこもってる旦那に声をかけてなんとかリビングに呼び出したり

 

 

 

 


いろいろありながら

ハル&ヒロは、それぞれにこの時間を楽しんだようだった。

 

 


 

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それで。

なんか、ちょっとだけわかったかも?

 

 

と思った。





一連の出来事を経ても

 

 

やっぱり私は子育てに向いてない、母親として足りないところばかりだという思いは変わらないのだけれど





例えば学校で


クラスの子ども達に

「どんなクラスにしていきたいか」
と聞き、
 

 

みんなでクラスを作って行くために

教師としてやっていたことや

 

 


例えばイベントで


スタッフのみんなに、チームとして、このフェスを成功させるために大切にしていきたいことをお伝えしたこととか






そういうの
そういう感じだったら

もしかしたら、できるのかも。

 

 

 



こんな私でも、できることがあるのかもしれない。




 

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というか、やるしかない。


自信がなくても
母親失格と思っても


母親を辞めることはできないのだ。

 

 

 

 



自分でできることを、できる方法で

 

自分なりに工夫しながら、1ミリでも前進していくしかない。







そう思った時に


あぁ、今までやってこれたのも、たくさんの人が支えてくださったからだ、と思った。

 

 

 

 

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何年か前の年末に
子育て支援センターにかけこんだ。
 
 

「子どもをたたいてしまった」

 

それを、先生に言う

その目的のためだけに、子どもを連れて遊びに行った。

 

 

 


勇気が出ずに

中々声をかけられずに

でも、これを言わなきゃ帰れない

 

 

 


そう思って、意を決して話しかけた先生は

「何にもできなけれど」

 


と話を聞いてくださり

 

 

ご自分が3人のお子さんを子育てする中で、そんな時期があったことを共有してくださったのだった。



 

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今年一年も、もうすぐ終わろうとしている。

 

 

 


振り返れば、これまで出会い、お世話になり、助けてくださった方々の顔が浮かぶ。




中には、今は関係性が遠くなった方もいる。

だけど、その時々にお一人おひとりが私にくださった言葉は
 

これからも、ずっと私を支えてくれるのだろうと思う。




そう思えば、すくんだ足も
また一歩、前に進められる気がした。



 

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