夜は吉祥寺へ移動してミクニヤナイハラプロジェクトの「船を待つ」を観た。

 

矢内原の演劇(プレイ)舞台企画で、今回はベケットの「ゴドーを待ちながら」を翻案創作した作品。

 

******* 演劇サイト より ******

 

◉矢内原美邦が描く現代版「ゴドーを待ちながら」
船を待つ人々の異なる想いが交差し、時のなかで運命の出会いや別れが紡がれる。永遠の船着場で彼らの孤独は謎めいた方向へ向かっていく。
◉ミクニヤナイハラプロジェクト最新作!
昨年12月大阪の扇町ミュージアムCUBEで初演を迎えた本作をさらにブラッシュアップし、音楽にTECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUNDの石川智久氏、映像美術に高橋啓祐を迎え、さらに東京公演バージョンとして新たな俳優陣も加わり、大阪公演の出演者とのダブルキャストで吉祥寺シアターにて上演します。

 

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シェイクスピアの「アテネのタイモン」をやはり矢内原流に読み解いた「前向き!タイモン』で第56回岸田國士戯曲賞を受賞した矢内原だけあって、世界中で翻案され続けている「ゴドー待ち」も、矢内原節でありながら原作の本質を見事に抽出したものに仕上がっていた。

 

今作では(原作では現れない)ゴドーが現れ、エストラゴンとヴラジミールよろしく二人で言い合い、戯れる。主人公(笠木泉)は”ヘイ!ゴドー!!!”とゴドー(渡辺梓)と呼びかけ、”何かおもしろい話をして!”とねだる。ゴドーもそれに応え、主人公(役名を忘れてしまいました。。。)と駆け回り、「本当に船は来るの?」と問いかける。

 

そこに近所の山から洪水で流れ着いた男(鈴木将一郎)が加わり、3人での言い争いが始まる。

 

来るかどうかわからないが、でも、もうすぐ船が来る ー> もうすぐゴドーがやって来るという見地についてそれぞれの考えを述べる3人。

 

必ず来る船を待つ、、ということがつまり人の死生観—>いつ来るかわからないが、必ずいつの日かやってくる に繋がっていく。そして船を待つという行為はつまり”生きていく”ということ、人の逃れられない営みということを示唆しているのだと感じ取った。船を待つという目的のほかに、太陽が上り、沈むその1日という単位を区切りとして重要視していることも示される。

 

吉祥寺シアターの階段席が取り除かれ、平場となったステージの中央には三途の川のような一本の光(ライト)の道。シーンによってその光の川が様相が変わるのが美しい。そしてそのほかに装置がないシンプルな舞台の中でとても効果的にその光の道が使われている。

 

その川を挟んで対面式に設置された観客席では反対側の観客たちを鏡のように観察することができる。

 

ダンスステージではないが、矢内原スタイルとして、走り回り、転がり、早いステップを踏む90分間のフィジカルなゴドー待ちは人の生きるエネルギーを目前で観察できる、人間的なゴドー待ちだった。