シアター風姿花伝で1983年ピューリッツァー賞を受賞したマーシャ・ノーマンの母と娘の2人芝居「おやすみ、お母さん」を観た。

 

演出、そして今回の舞台のため新たに翻訳を手がけたのが風姿花伝のプロデュース公演の常連でもある小川絵梨子。

 

開幕する前から演劇ファンの注目と期待を集めていたのは、なんと言っても実の母娘(那須佐代子と凛)がこの2人きりの登場人物を演じ、真正面から対峙するという企画に対する期待だろう。

 

その期待に応え、逃げ場のない小劇場の狭い空間で対峙する2人の舞台女優の熱演から目が離せない、そんな緊張感みなぎる舞台だった。

 

舞台上には食べ物や本、雑貨などがごちゃごちゃと散在する日常をリアルに再現した2人が住む家のリビングとダイニング&台所のセットが。背面にはドアが二つ、廊下→玄関へと出ていくドアと二階(?)へと続く階段へと出るドア。

ラスト、そのドアを出て(鍵をかけ)、この戯曲の題である「Night, mother」と声をかけて自分の人生の最大の決断を決行する意志を固めた娘の声が耳に残って切ない。その反対側にいる母親の絶望と落胆も心に迫る。

 

***** あらすじ Amazon書籍紹介から ****

ジェシー・ケーツ。年令は、30代後半か40代の始め(那須凛)。セルマ・ケーツ(那須佐代子)、ジェシーの母親。50代後半か60代の初め。娘と母、登場人物はその二人。時は現在。劇的行動は8時5分頃開始し、10時には全てが終了する。舞台上の時計が、リアルタイムの時間を刻む。それは二人にとって抜き差しならない時間である。娘と母との細かな日常的なディテールに“死”の光りが当てられ、二人の人生そのものが浮かび上がっていく。愛と孤独、不安、希望、あきらめ、決意…。凝縮した時間の中の凝縮した人間の葛藤。強い衝撃と感動で、’83年度ピュリッツァー賞を受賞した問題作。

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まず、やはりモノホンの母娘だけあって、その存在が超リアル—やっぱり顔が似ている—である。

 

おそらく、内容は違っても以前に2人でこのように口喧嘩をしたことはあったであろう、、、アフタートークで凛さんが母親からかなりキツめのダメ出しを受けたこともある(この作品とは別で)、と話していた。

そのような経験はどのように反映されるのだろうか。もちろん2人ともプロの女優さんなので、”相手が誰であろうと、母娘をリアルに演じる”と言い切るとは思うが、やはりそこに何かプラスαの何かがついてくることになるのではないだろうか。

 

で、内容は前述にあるように(何せ、娘が人生に絶望して今晩命を絶つ、と母親に宣言するところから始まるのだから)母娘にとってかなりハードな2時間の会話というものになっている。

 

なぜ娘はそのような決断をしたのか、母はどのように説得を試みるのか、、、は舞台を観てもらうとして、、

観ながら思ったのは、この母と娘という女の関係が全世界共通して、全人類的に共通して、、かなりビミョーなものであり得るということ。

 

そのビミョーさにはそれぞれに温度差があるとしても、成人した女2人がそれぞれの人生をジャッジするというその行為自体が危うく、そしてとても繊細なもので、それも親子関係にある2人となると最も近い存在でありながら、最も批判的な相手になり得る可能性が高いと思うのだ。

 

毒親や二卵性母娘という言葉が示すように、もちろんそれぞれが良かれと思ってやっているのかもしれないが、知らず知らずに関係性を歪めている場合も多くあるだろう。

他人だったら、関係を断つこともできるが親と子となるとそれが出来ない、、そして他人だったら他人事だから聞き流せることもそうはいかない、、でも基本、相手のことはとても愛している。。。さらに言えば、その女2人は双方とも「母親(子供を産んでいる)」だということも母と娘の関係を一段とビミョーにしている。

 

そんなことを思いながら、それでも最終的に個人を尊重するんだな〜〜〜、欧米社会、と感じた。

 

色々なことを考えさせられる舞台なので、観て損は絶対にないと思う。