昨日も前日に引き続きダブルで昼、夜と観劇。

マチネー「Song& Dance -Hamlet」
ソワレー「セルロイド」 by 演劇企画集団The・ガジラ

Song&Dancde- Hamlet

新潟りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズでお馴染み栗田芳宏演出の歌劇版シェイクスピア劇「ハムレット」。
能楽堂でも度々組んでいる、宮川彬良のオリジナル音楽による音楽劇(ちなみに宮川氏自らライブでピアノ演奏で曲をつけている)。主演ハムレットにはもとタカラジェンヌの安寿ミラ。
奇しくも、宣伝ちらしにも自らうたっているように、あくまでも「ハムレット・ショー」であって、シェイクスピアのハムレット劇にはなっていない。
冒頭、ホレイショー役の石山毅がデンマーク(エルシノア)で起きた一人の若者の悲劇を語り始めるかたちで幕が開き、引き続きその物語を旅芸人一座が観客へ披露するかたちで音楽劇が展開する。あくまでも役者たちがハムレットの劇を披露するという形なので、シンプルなテント小屋前で繰り広げられるステージ上には役者たちの衣装トランクが置かれ、それぞれの役者たちはそのトランクから場面にあわせ衣装(劇中劇の間は仮装マスクを着用するなど)を取り出し、歌をうたいながら役を演じる。
劇の内容に関しては、ハムレットの内面、特に若者の悩み、迷いなどはみじんも感じられず、あくまでも`かっこ良い’宝塚の男役のハムレット。それにあわせて、女形でキャスティングされた館形比呂一のガートルードも表面のみくねくね腰で女形の大女で、なぜ彼がこの役を演じるのか、、さっぱりその意図が分からず。一言、ただただミスキャスト。
脇を固める、レアティーズの谷田歩(彼の存在感はすばらしい、他の舞台にもどんどん出て欲しい)、とオフィーリアの堀内敬子、この二人を観るための芝居。
名作をただなぞるだけではもったいない。やはり、ハムレットは芝居として観たかった。(形は音楽劇でもかまわないのだが、その人物描写に問題あり)

セルロイド

前日のヒステリアが英国社会における幼児の性的虐待問題に一石を投じた作品だったのに比べ、こちらはどっぷりドメスティック、近年の日本で頻繁に起きている、様々な虐待ー性的虐待、ネグレクト、育児放棄、幼児虐待、近親相姦、引きこもり、、家庭崩壊ーを扱った芝居。
下北沢スズナリの舞台が家庭崩壊現場、血みどろの密室に。舞台一面に散在する半透明のゴミ袋、中央には無機質な大型冷蔵庫とその上には光を反射しながら回転する鏡のオブジェ。
幕開け、血を流しながらうずくまる青年(伊達暁)を解放しようとする女(岡まゆみ)。部屋の片隅にバットをかかえフードで顔を覆いながらうずくまる男(真那胡敬二)と冷蔵庫によりかかる中年男性(大久保鷹)。次第にそれぞれの関係ー虐待をし合う家族ーが明らかになり、それと同時にお互いが起こした、そして受けた虐待の数々が明かされていく。時にはバットをふりかざし、手足をひもでしばり、布団たたきで相手を殴りながら、激しいなじりあいの言葉、謝罪を求める叫びが飛び交う。それぞれに責任転嫁を繰り返し、それでいてその密室から外界へ出て行こうとは決してしない家族。
中盤、まるで虐待例の展示会場のように次々と明かされるむごたらしいイジメの判例にちょっと食傷気味に中だるみを感じる箇所があるが、役者4人の好演に突き動かされながら(特に岡まゆみの狂気と大久保鷹の圧倒的な存在感が特出)緊張ほぐれぬまま舞台は幕を閉じる。
やはり、海の向こうの話(ヒステリア/虐待だけでなく人間心理を考察する知的な試みのドラマであるとは思うが)よりも、今、この狭い密室で起きている悲劇の方が観客には直接響きやすいのであろう。
途中、実際の事件の記事(歯医者一家、妹殺害事件や実の子供死体遺棄事件など)が度々思い出され、これは舞台上の事がらというだけでは無いんだということを実感する。

蛇足であるが、開演前に後ろの席の観客の会話からー「下北沢にはいろんな変わった人が住んでるんだよねー、あのパリで人肉を食べた佐川くん、、この前見かけたし。」「医者の友人曰く、精神科医っていうのが医者の中でダントツに儲かるんだって。治療方法とかに絶対的な決まった療法ー外科の手術とか歯医者の治療とかーがないからね。いくらでも治療と称することができるんだよ。」とのこと。なるほどね。