バランスよく生きるために-女性性に開く | えつこの部屋

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和尚アートユニティスタッフによる公式ブログ。オーラソーマやコース、最新情報やお仕事のあれこれなどスタッフの日常を公開中。

最近まわりで、男性性と女性性の統合という言葉をよく耳にします。

 

誰のなかにもある男性的な面と女性的な面。その2つがバランスよく働くと、外側の人生もバランスの取れたものになります。

 

 

ずっと続いた歴史的な背景からは男性が優位とされてきたため、これまで女性は女性であることに価値を与えることがむずかしいとされていましたが、その時代も変わりつつあるようです。

 

男性と同じように闘ってきた女性や、男性の影に隠れてきた女性など、もしくは男性でも自分のなかにあるソフトな面や感じやすい面を押さえて生きている女性の質など、1人の人間のなかにある2つの側面にギクシャクした感じや違和感を覚えて、もっと自分らしく生きたいと願うようになってきたのように思います。

 

 

先日、ユニティインスティチュートのニュースレターでコマラがこの女性性についての執筆をしてくださいました。

 

とてもわかりやすくて、勇気が出ると感じたので、こちらでもシェアをいたしますね。

 

アルヴィナが、12月8日~10日に「女性性に開くー女性であることのパワー」のコースをおこないます。

たくさんの女性に参加してほしいコースです。

 

 

 

私がこのコースがいいなあと思うのは、女性であること、女性性の質の美しさだけを体験

するのではなく、女性性に価値を与えることで、それが自分の中にある男性性をも目覚めさせ、生きることの中に、その両方の質がもっと表現され、自分を全体としてフルに生きることを焦点にしているからです。

 

自分の中にある女性性と男性性の両方の質を生きるあり方は、そこにある分離を超えて、私たちに大きな解放感を与えます。

 

私が女性性と男性性という見方で自分の中にあるこの二つの異なったエネルギーにジャッジのない気づきをもたらせるようになったのは、瞑想を始めるようになってからです。

 

子供の頃に両親から、はっきり物を言う私に「おまえは女の子なのにやさしくない」

と言われ、そのときに「女性」として期待される態度があることを知り、純日本的な女性のあり方を生きていた母を見て、「ふ~ 私には女性らしく生きることは難しいなあ」と子供ながらにぼんやり思ったものです。

 

世間から期待される女性の役割、男性の役割を通して自分を見ると「自分であること」は難しく感じられたのです。

 

「女のくせに」「女だてらに」「女はこれだから」という表現は、今でこそ女性の力が社会の中で認められるようなって少なくなってきたかもしれませんが、社会の中で仕事をしていく女性にとっては、悔しい思いをしたり、がんばり過ぎてしまうことがあるかもしれません。

 

私が25歳になったときに、父から「そろそろ安売りの時期だなあ」とクリスマスケーキに「嫁に行かない娘」をなぞらえて、からかわれたことがあります。

つまり25日を過ぎれば、誰もクリスマスケーキを買わないという意味です。

 

冗談の中には、いつも少しの本音が潜んでいるもので、父親に男性優位の見方があることを発見してお父さんっ子だった私は、少しがっかりしたのを覚えています。

 

それで傷つくこともできれば、くってかかることもできます。

 

自分が女性であることに価値を与えないでいると、クリスマスケーキにされてしまう~ 笑

 

数ヶ月前に、女性性と男性性のことを考えていたとき、たまたまテレビで、社交ダンスの世界選手権大会に挑戦する日本人のダンスのカップル、キンタロー(女)とロペス(男)の特集番組を見ました。 

皆さんご存知ですか?

 

知らない人のために少し背景を書くと、彼らはそれまで全く注目されていないダークホースだったのですが、今年になってドイツ大会で、素晴らしい結果を出して一挙に世界の注目を浴びます。

その番組は、その数ヶ月後に続く世界選手権大会までの彼らのプレッシャーと、厳しい練習風景を綴った番組でした。

 

もう世界選手権が数週間後に迫っている中、世界のトップと戦うには、もうひとつ輝きに欠ける彼らのダンスに、技術の問題ではなく、二人にコミュニケーションがないことを、恩師が鋭く指摘します。

 

ダンスの中で起こっていたことは、女性であるキンタローは、活発で明るく表現力があり、男性であるロペスを引っ張ってリードをとり、男性であるロペスは、キンタローが踊りたいようにどこかあわせてしまう遠慮があることを、その恩師が見事に見抜いたのです。

 

キンタローはロペスをどこか信頼しきれず、自分がやらねばという重圧が彼女の女性性が開いて表現されることに影を落とし、ロペスはキンタローに気を使うことで、男性性の質をダンスに出せないでいることで、女性と男性がひっくり返っていて、ダンスに流れが起こらなかったのです。

 

キンタローが「信頼できない」という痛みを受け入れて、それを手放す。

ロペスは、恩師から相手にあわせようとしすぎないで、ダンスの中で自分が大きな波をつくることが仕事であり、それだけに集中すれば女性がその波に乗ることができると教えられます。

 

これはまさに女性性と男性性に伴う痛みを互いが自分の中でヒーリングすることで、自分の女性性、男性性に開き、それが見事にダンスのパートに表現されていくプロセスでした。

 

あくまでも、私の解説ですが。笑

 

この気づきは、まるで魔法のようにダンスの中で二人のエネルギーをひとつにしました。

 

私たちが自分の中にある女性性と男性性に、愛のある気づきをもたらし、そこにある過去からの思い込みや、痛みの感情を手放すことで、その二つの質は私たちの中で開花し、生きることが瞬間瞬間の自分なりのユニークな美しいバランスの表現となります。

 

私は昔から、愛と気づきの両方の質を生きたいと願っていました。

剣のように鋭い気づきと、花のように柔らかい愛。

 

インドでOSHOに会ったときに、その二つの質が一人の存在の中で開花しているのを見て、子供の頃から抱えていた私の中の分離感の傷が癒され、自分なりのバランスが内側で芽生え始めました。

 

女性限定のコースということで、もしかしたら、何かのリアクションがある人もいるかもしれませんが、女性性は何世紀ものあいだ、社会であまり価値をおかれて来なかったという歴史があります。

 

私たち女性が集うことで、そこにある集合的な痛みを手放していく機会でもあり、リラックスし、自分の中の女性性の美しさに開き、そこにあるかもしれない過去の痛みを癒し、女性性に価値を与えることによって、私たちは自分の中にある男性性にも、もっと深く愛と気づきをもたらします。

 

それは、その二極性を超えた大きな内なるスペースから生まれてくるバランスであり、全体性の中で自分であることの喜びと自信が生まれてきます。

 

分離を超えた、成熟した女性であることに興味のある方、ご一緒しましょう。私も通訳として参加します。

 

黒田コマラ

 

いかがでしたか?

 

どこか、共感するところがあったのではないかなと思います。

 

アルヴィナって妖精みたいな感じですが、お仕事はシンプルでパーフェクト。ハートフルでまったくプッシュを感じさせません。

 

そして、プラサードとの関係性はラブリーです。

 

その秘訣がこの「女性性に開く」にありそうです。

 

あたらしい年を迎える前に、とても貴重なこの女性性に開くのコースにぜひご参加くださいね。

 

 

くわしくはこちらよりどうぞ。(お支払いは、クレジットカードもご利用いただけます。)

 

※以前のブログ「女性性に開くということ。」はこちらよりどうぞ。

 

えつこ

 

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