〈京都御所〉4 / 14

 

清涼殿の殿上の間あたりが、吹きさらしで酷く開け拡げて見えるのも、実は、幾重にも立ち塞がって外部と遮断していた、塀や建物を失ったせいなのである。地下の者が足を入れるのを許されなかった場所の趣きは失われた。どこか大きな学校か役所の古い建物を放課後の閑散な時間に裏から見たように淋しくさえある。

 

♫  Forbidden Colours / David Sylvian

 

 

 

太平洋戦争以前には、もとより、これらの御殿は外からは決して見えぬように目隠しされていた。禁・裏/裡(きんり)と称えられたのもその故だし、(ウィリアム・E・)グリフィスがフォービイドゥン・エンクロージュアと字義どおり訳した意味が当っている。さらにこの禁園の四方を、屋根のある高い築地(ついじ)がめぐり、始終、清らかな水が流れている溝が囲んでいた。

 

その外側、今日、御所の御苑となっている四方の土地が、仙洞(せんとう)御所、各宮家の御殿と共に、10世紀に近い代々を御所に仕えて来た公卿・殿上人の屋敷で埋まっていた。これにさらに一重、今日も在る石垣をめぐらせ、外の町と通じる出入りの門を、九つに限ってあった。

 

 

 

♫  コメットさん / 作詞・寺山修司  作曲・湯浅譲二

 

小学生のころ刷り込まれました。御蔭で、ココノエと自然に読めました。

 

 

 

 

広さ277.000坪。外の町の辻を吹く風は、九門から奥に入りにくい。幕府の方針が、神棚に上げて隔離しておくことで、この幾重にも囲まれた奥に、中世の時間をそのまま残しておくようにする事だった。古事故実だけを守るのを生活としている公卿たちが天皇を囲んでいた。

 

近代の気流が僅かに入るようになったのは、時世の急変に依って諸藩の志士が学習院に入るのを許された時あたりからで、それまでは幕府の京都所司代でも、出入り出来る場所を限られていて、取次の任にある公卿を間に立てなければ、何の公用の話も出来なかったのである。殿上の間に近付く事などは無論、許されない。九重の奥とは、比喩だけのものではない。

 

 

 

 

♫  Boz Scaggs / Hard Times   1977

 

こちら(答えはハッシュタグの中に)を舐めるよりも、辛酸のほうが多数派に?

 

 

 

 

もっと古くには、天皇の常の御座所の近くに『日記(にき)の御厨子(おずし)』が置かれ、醍醐・村上、二代の天皇の日記(二代御記)を納めて、天皇の御日常の参考にして、行事を規律された事もあった。『禁秘抄』『建武年中行事』など、宮中の日常の様式について、天皇みずから後撰になったものが多く残っている。

 

禁園の池の水は醒めていても、中世の時間のまま動かない。やがて、この静かな環境の中に、外の時世の激動が荒々しく押し入って来るようになったので、物事を古式どおりにしか処理しようとしない、大宮人の心を驚かしめたのである。

 

          ー  大佛次郎  /  『天皇の世紀』序の巻

 

 

 

♫  Eric Clapton / Hard Times

 

ロン毛のエリック先生。素敵です。

 

 

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