グラデーションな6年間
前回、「何かと問題が多い中学高校時代」と書いたけど、あまりに問題がありすぎてどこから書いていいか迷うほどだ。
どんな時代かというと、「人見知り」がやがて「対人恐怖症のレベル」に悪化していったそんな時期だった。いわば縄文時代から弥生時代に変化するような、グラデーションのような6年間だったのかな。
勉強の成績は良かった。何しろ真面目だから。親から言われずとも中間試験や期末試験になると(今でも呼び方変わらないのかな)しっかり勉強していた。オールナイトニッポンでタモリや中島みゆきを聞きながら。
考えてみると、中学校前半が一番気持ちが安定した時期なのかも。担任の先生にも気に入ってくれていたし。
でも中学校も後半になると、どこの地方もそうなだっただろうけど、勉強ができるやつの地位は次第に低空飛行を強いられ、ちょっと不良っぽいやつや男性ホルモンがたくさん出てるやつの格が上がる。
そうなると筆者の「人見知り」は少しずつ少しずつ悪化を始める。学校に行くのがなんとなく気が重くなる。「きょうは嫌なことがなくて、楽しいことがたくさんありますように」と登校中、乙女のように心の中で祈ったりする。
話はちょっと飛んでしまう。
よく耳にするのが「俺は運動が苦手でクラスのやつらに笑われてたけど、勉強を頑張ったから今の成功した俺がいる」みたいな話だけど、ほんとなのかな。
まぁもちろん社会人になったら、スポーツができようができまいが一見関係なさそうだが、「勉強しかできない草食タイプ」と「勉強はもちろん、スポーツもできたし喧嘩も強かった肉食タイプ」は、まとっている空気ですぐに判別されるような気がするのだ。社会に出てもその空気は大きく影響してしまう、と思う。
当然ながら後者が圧倒的に有利。「喧嘩に明け暮れて中学生のころはモテたけど、結局は反社会的な組織に入ってしまった」というのはもちろん問題外だけど。
そういったことをぐずぐずと考え始めたのが中学3年の頃だった。というか、中学3年にして自分の将来を見通してしまった。「こりゃ大変だ」と。
通常は歳を重ねるごとに性格や感性は変わっていくのだろうが、「勉強一途の秀才君は社会に出たら絶対的に不利。『何者か』にはなるのは難しい」というこの考え方は、恐ろしいほどにがっちり固定化された。何があっても変わらなかった。
高校は進学校に進み、自分でいうのもなんだがちゃんとした大学も出た。まぁまぁの会社に入り、結婚して、子供も二人できた。人生の大きな節目を人並みにきちんと経験はしてきたし、自分なりに頑張ってきたつもり。
が、しかし、「男としての達成感!」みたいなものは、どうしても感じることができなかった。孤独感や無力感だけが蓄積していった。若い人たちに今後の道筋を教え諭すなどとても無理。すでに還暦なのに。
たかだか中学3年生の予想通りに筆者は進んでしまった。
いやー、これはつらいよ。
何がそんなにつらい
「何をそんなにつらがってるんだ、このおっさん」と思う向きも多いと思う。
自分で読み返してみても「これじゃ伝わらないだろう」と感じる。
「え、対人恐怖症になったの?」と興味を持った方もいるだろうが、詳しくは何も書いていない。
このブログは格好よく言うならば「還暦を機にこれまでの自分をさらけだすことで一度捨て去り、第二の人生を可能な限りこれまでと違ったものにする」ために始めた。
なので「隠さない」「かっこつけない」「嘘をかかない」をモットーに書いていくつもりなのだ。すでに幾分かっこつけてる感じになってるが。
嫌なもの、おぞましいもの、暗いものが好きな方は時々読んでみてください。