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この物語はある一人の少年がやらかしてしまったバカ話です

 

 <第17章> 仏の顔も三度まで

 

「仏の顔も三度まで」

 このことわざを辞書で調べてみると、、

『どんなに情け深い優しい人でも度重ねてひどい仕打ちを受けると、しまいには怒り出すということ』

 と、のっています。しかしこの解説だけで完璧に理解するには不十分であり、かつ、困難だとぼくは思います。

 そこで今回はぼく(たち)が経験した、仏の顔も三度まで、のお話をしたいと思います。

  

 それではぼくたちが中学二年生の時に起きた事件についてです。事件も事件、当時のぼくたちには信じられないほどの大事件でした。

 では、まず、みなさんがイメージしやすいようにぼくの身に起きた事件についてお話しましょう。

 ぼくの体は困難がへばりついているような体で、げっぷとかおならとかとかを、どんなに緊張する場面でも我慢することができません。

 

 急にお話が変わって申し訳ありませんが、ぼくの将来の夢はアイルランドで暮らすことです。なぜかというと、アイルランドという単語を漢字で表記すると『愛蘭』と書くからです。

 この理由だけではぼくの情熱は伝わりきれないと思いますので、もう少しくわしい理由をお話しましょう。

 

 ぼくに「愛する」とはどういうことなのかを教えてくれたのは、ほかならぬ、母、でした。

 その感情をはじめて感じたのは小学一年生の時です。

  当時ぼくは近所に住む友達のSくんと毎日一緒に登校し、毎日一緒に勉強し、毎日一緒に下校し、毎日一緒に(しつこい!)放課後をすごしていました。特に強調したいのは、下校の時のことです。

『あの作戦』

 と銘打ってぼくたち二人だけの秘密の下校の仕方をしていました。

 どういう作戦か申し上げますと、下校の際、自宅が学校に近いSくん宅に一度立ち寄り、Sくんのランドセルを置いて、それからぼくの家に二人で帰り、ぼくの家の帰ってから、遊ぶ。

 それが『あの作戦』です。

 そうしてぼくの家の近所にある公園で、二人だけで野球やサッカーをしたり(よくできたもんだ)したりして放課後を毎日一緒に(え~い、ええかげんんいせえ)すごしました。そしてそんなことをして友情を深めていったぼくたちを夢中にしたのが、当時大流行したのがキン肉マン消しゴム、略して『キン消し』です。

 キン肉マンを知らない全国の良い子のみんなは、お父さんに聞いてみてください。

「ね~、きん消しってな~に~?」

 とかわいらしく聞けばお小遣いをもらえるかもしれませんよ。

 ぼくとSくんも例外ではなく、雨で公園が使えない時はSくんの家でキン消しで遊んでいました。

 しかし一つ問題がありました。ぼくとSくんだけでなく、全国で大流行したキン肉マンは、週間少年ジャンプで、ゆでたまご先生の手によって連載されていたのですが、そのころキン肉マンのストーリーは、二人組の最強コンビはどのコンビか? とその称号を奪い合う、というシリーズが展開されていました。

 そしてみんな駄菓子屋に行ってガチャガチャで各々が好むキャラクターのキン消しを宝物のようにして、レゴブロックで城をこいらえては、ままごとみたいな遊びに興じたりしていました。

 

 ぼくとSくんが魅かれていたもは2000万パワーズという、バッファローマンとモンゴルマンのコンビだったのですが、Sくんは幸運にもバッファローマンのキン消しを持っていてのですが、残念ながら、ぼくはモンゴルマンのキン消しを持っていませんでした。

 しかし人生なにが起きるかわかりません。

 ある日行きつけの駄菓子屋へ二人で行ってキン消しのガチャガチャの中を覗くと、、まるで神様からのプレゼントのようにモンゴルマンのキン消しがあるではないですか!

 ぼくとSくんは同じことをヒラメキました。ぼくたちはリングに向かうプロレスラー、まさに、モンゴルマンの姿そのもののように。

 ぼくたちは勇猛果敢に駄菓子屋のおばちゃんのいる店の奥へとぐんぐん突き進んで行きました。そして、

「すみません。あの~、お金払うんでえ、キン消しのガチャガチャのカギ開けてくれませんか」

 と懇願しました。しかしおばちゃんの返事は残念なものでした。ただ一言、

「ごめんね~……」

 と。

 しかし弱いものいじめなんかしないで、毎日いい子にして、一生懸命勉強して、みんなで仲良くしていれば、やっぱり神様はいるのでしょう、ぼくは、どうしてかは記憶にありませんが、奇跡的にモンゴルマンのキン消しを手に入れたのです。それからは毎日のように、あの作戦を使って、少しでも長い間、Sくんのバッファローマンとぼくのモンゴルマンで遊びました。まさに至福の時間でした。

 

 さてここからが本題です。あいかわらず前置きばかり長くてすみません。

 ぼくが中学二年生の時のことです。当時ぼくの通っていた中学校にはY先生という、若く、情熱的で、将来を嘱望されていた先生がいて、ぼくみたいな大バカ野郎をも見捨てることなく、一生懸命、自由と平等と人権の重要性を教えてくれる素晴らしい先生がいました。

 そんなある日のY先生の授業の時です。ちなみにY先生の担当は公民です。その日もY先生はいつも通りさわやかに教室にきて、かっこよく授業を始めました。

 少しずつ授業は進み、20分ほどたったころでしょうか、隣のクラスは自習だったのでしょう、なんとなくざわついているのがぼくたちにも伝わってきました。そしてどうやら、Mくんが、おならをしたゆです。隣の教室でバカ騒ぎが起きました。そしてMくん揶揄するバカな奴が、

「Mへぇこくな~」(一回目)と大声を張り上げったのです。

 みなさんえ、ちょっと古いですが、映画『ジョーズ』のあの危機せまるあの、う~うん、う~うん、というバックミュージックを思い出してください。

 隣の教室とぼくたちの教室にこの上ない緊張感というか、

「こいつ、マジでやべぇんじゃね~の?」

 という雰囲気が漂ってきました。そして

「Mへぇこうな~」(二回目)

 Y先生はしゃべらなくなりました。

う~うん、う~うん。

「Mへぇこうな~」(三回目)

そして四回目の{Mぇこくな~」

 次の限りなく0秒に近い瞬間、いつもクールで最高にいかしてるY先生が怒髪天をついたのです。

 

 「うるせーんだよッ!!」

 

 優しいY先生もついにキレたのです。

 これが屁の威力です。

 というわけで、次回は『屁』についてお話させていただきたいと思います。

 乞うご期待