深夜にわが家のリビングで、私は5年ぶりに再会したマクロビオティックの教え子サチさんとワイングラスを傾けました。
奇しくもその日は二人の師匠・久司道夫先生の誕生日。
その夜、サチさんは私にこんな印象深い話をしてくれたのでした。
「・・・あのね、先生。
私、久司先生の授業で忘れられない授業があるんです」
「忘れられない授業?」
「・・・そう、忘れられない授業。
今でも時々、思い出すことがあります。」
「それはどんな授業だったの?」
「・・・それは、レベル3(マクロの学校の上級コース)の最終講義でのことでした」
「その時、久司先生は愛についてお話されました。『皆さんは、愛の定義って何だと思う?』私たちにそう訊かれた後、こんな話をして下さったんです」
■お米の想い■
(久司先生談)「私は、愛とは何ら見返りを求めることなく喜びとともに与え続けるものだと考えます。例えば、お母さんの愛。お母さんは、いつだって子どもの幸せを願い続けています。反発されたって、裏切られたって、お母さんは子供のことが愛しくて仕方がありません。子供が傷つけば、自分も傷つく。子供が悲しめば、自分も悲しい。
お母さんにとって子供は宝物であり、自分と子供は分けることのできないひとつのものだからです。
子供が幸せであること、それがお母さんの願いであり、子供が喜ぶこと、それがお母さんの希望であり、喜びなのです。
実は、穀物や野菜もそうした『想い』を持っています 」
久司先生は、そうおっしゃると、キャベツはどんな想いで土の中に育つのか。かぼちゃはどんな想いでいるのか。にんじんはどんな想いなのか、一通り説明された後、そうした個々の野菜の想いが波動となることをお話されました。
そして、私たちは食べる行為によって、日々その波動を取り込んでいるのだと伝えられました。
「これで私の講義は終わりです。何か質問はありますか?
・・・・もしなければ、私がお伝えすることは、もうこれが最後です」
サチさんは、久司先生の「最後」という言葉を聞いた時、先生とこれから先、永遠に会えなくなるような気がして悲しくなり、「今、なんとか質問をして、先生をこの場につなぎとめなければ」そう思ったといいます。
「質問はありませんか?
なければ、これで終わりです」
しーんと静まり返った教室に、誰も手を挙げる生徒はいません。サチさんはある質問を思いつき、手を挙げました。
「待って下さい!先生、質問があります」
「はい。どうぞ」
「先生、では、お米はどんな想いを持っているのですか?」
久司先生は、何も言わずにサチさんを見つめました。しんとした音の無い教室。そこにしばし沈黙の時間が流れました。
・・・その時です。
突然、サチさんの脳裏に広々とした大地の中で稲穂たちが風にそよぐ風景が映りました。
日の光を受けながら、キラキラと黄金色に輝く稲穂たち。
それらの一本一本が何か共通する意志を持っているように感じられました。その時、サチさんには、稲穂たちの「想い」が何であるのかわかったと言います。
「稲穂たちは、待っていたんです。けなげにも自らの身を捧げ、ずっとずっと私たち人間に食べられるのを待っていたんです」
「その時、お米の想いが何なのかはっきりわかりました。お米が私たちに望んでいるのは『平和』だったんだって」
もの言わず収穫を待ち、ただただ平和を願う稲穂たちの気持ちが、久司先生の話して下さった「愛の定義」と重なって、サチさんは突然、その場で号泣してしまいました。
静まり返った教室にサチさんの嗚咽する音が響きます。
久司先生は何も言わず、ただ静かにサチさんを見つめていました。そして、しばらくすると、傍らにいらした奥様にホワイトボードにある文字を書くように告げられました。
ホワイトボードに大きく書かれたその文字は「和」という文字でした。
そして、久司先生はこう言われました。
「左側の『のぎ偏』は穀物=稲がたわわに実った姿を表します。
そして、右側は私たちの『口』。
穀物=稲を口にすることにより、
私たち人間が仲良く、争いがなく、そして『平和』に暮らしていくことを稲穂たちは願っています。
お米の想い、それは『平和』です」
「・・・私はその日、一日中泣いていました。クラスメイトたちは、なぜ私が泣き出したのか意味がわからず、困惑していました」
「私自身、なぜあんなに泣けてしょうがなかったのかわかりません。ただ、あの時、心の底から稲穂たちの気持ちが理解できた気がして、本当にありがたく暖かく切なくなるほど感謝の気持ちが湧き起こってきたんです」
サチさんの語りを聴きながら、その光景が頭に浮かび、私も胸が熱くなりました。
■芸術表現は祈り■
3日間のイベントで、クッキングクラス・望診法・写真術と3つの異なる講座の講師を務めてくれたサチさん。●1日目 クッキングクラス
●2日目 望診法講座
●3日目 写真術講座
■アートはつなぐ■
クラスに参加して下さったある方は、後日このような感想を伝えて下さいました。
「クラスを受けて、すごく良かったです。なんだかワクワク興奮してしまって、その晩は眠れないほどでした」
サチさんの作る料理。撮る写真。そして、語る言葉には「愛」があります。それを参加者の皆さんもきっと感じられたのだと思います。
マクロビオティックのことを、玄米ご飯と野菜を食べて、肉や白砂糖・乳製品を禁じる食事法なのだと捉えられる方がいます。
しかし、私はそうは思いません。
制限食なんてものでは決してなく、まして、単なる食事法でもありません。
私は「頂いた生命をいきいきと活かす方法」、それがマクロビオティックだと思っています。
この宇宙は、私たちに「生命」という名の愛を与えてくれました。それはまさに久司先生が「お母さんの愛」に例えたものと同質の愛です。
だからこそ私たちは、自らの生命を十分に活かし、他者と調和し、健康と幸福に向かわねばなりません。
今回、サチさんもしっかりとそのことを理解されていると確信しました。
愛は、「合い」に通じます。
異なるものをひとつにつなぎ合わせるものが愛。アートとは、その「ひとつにつなぎ合わせる行為」にほかなりません。
新千歳空港に巨大壁画を描いた日比野克彦氏は、マクロな世界とミクロな世界をつなぎ合わせ、サチさんは、料理を通じて合理性と美をつなぎ合わせ、写真を通じて祈りと見る者をつなぎ合わせます。
お別れの日、私はサチさんを空港まで送りました。日比野氏の巨大壁画を一目見せたかったのです。
空港に到着すると、いつもと変わらぬ色とカタチがそこにはありました。
壁画作品のタイトルは「Organic circulation」。
どんどんモノゴトは変化していくけれど、その中で変わらぬ何かを引き継ぐことで、新たな循環は生まれます。
大切なものを引き継ぎながら変わっていくこと。そこに進化はあります。
マクロな宇宙とミクロな宇宙を自分自身の中で調和させること。それは私自身のライフテーマでもあり、これからのマクロビオティックのあるべき姿だとも思っています。
「先生、日比野さんの作品の前で一緒に写真撮りましょう!」
「そう言うと思って、三脚持って来たよ」
パチリ。
「また北海道においでよ。待ってるよ」
「ありがとうございます。楽しかった」
●新千歳空港・日比野克彦作品『Organic circulation』の前で
■EARTHの意味■
・・・彼女を見送ってから気がついたことがあります。
それは私の2つの宝物の作者、日比野克彦さんも、サチさんも、二人とも岐阜県の出身だということ。
岐阜県は、古くから美濃焼で有名な焼き物の産地。サチさんのご実家も有名な窯元なのです。
陶芸は、まさに実用性と美をつなげたアート。そうした陶芸がさかんな土地柄から多くのアーティストを輩出しています。
サチさんの講座が、どれも聴く人の感性にしみ込んでくるのは、そうしたアーティストと呼ばれる人たちが持つ真っすぐな表現力によるものだと思いました。
そして、本当は人は誰でも例外なく、アーティストなのです。
語る言葉、作る料理、謳う歌、舞う踊り・・・
日々の暮らしの中で表現するものは、すべてアートです。アートは人と人を結びます。
私たちが暮らすこの惑星の名は、「EARTH」。
この文字をよく注意して見てみれば、左の端の「E」は「EDEN」(=エデンの園)の頭文字。
そして、右の端の「 H」は「 HEAVEN」(=天国)の頭文字。
「E」と「H」に挟まれた真ん中にあるのは「ART」の文字。
私は、この偶然を神様のメッセージだと捉えています。
神様が「人間たちよ。アートの力で、このエデンの園に天国を創造しなさい」とおっしゃっているのだと。
サチさん、北海道に来てくれてありがとう。
そして、たくさんの気づきをありがとう。
これからもお互い、活動を通じて、
この地球を天国にしていこう。
あなたに会えてうれしかったです。
★トップの画像もサチ・カトウさんの作品です。興味ある方はぜひ彼女のHPも訪ねてみて下さいね。
http://sachikato.com
★カリフォルニアはヒッピームーブメントの発祥地であり、オーガニック文化の先進地域であります。いつかサチさんをナビゲーターにカリフォルニアオーガニックツアーできたらなぁ。それまでこれで予習しとこう。
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